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背番号物語

【背番号物語】「#18」球界の絶対的エースナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

チームの「十八番」



 一般的に「十八番」というと、歌舞伎を由来とする表現で、もっとも得意とする芸、得意技といった意味とされる。プロ野球の世界で「18番」といえばエースナンバーだ。その「十八番」が由来、という説もあるが、戦後の巨人が発祥、というのが有力。

 ただ、メジャー・リーグには、『「18」=エースナンバー』という意識はないという。チームがもっとも得意とする投手=「18」のエースというのは、やはり日本人には馴染みやすいのかもしれない。実際、まさに古今東西、「18」にはチームの主力となった好投手たちが並んでいる。

【12球団主な歴代背番号「18」】
巨人 中尾輝三(碩志)、藤田元司堀内恒夫、桑田真澄、杉内俊哉

阪神 若林忠志安仁屋宗八池田親興、藪恵市(恵壹)、馬場皐輔☆(2018〜)

中日 村松幸雄、空谷(児玉)泰、稲葉光雄鹿島忠鈴木翔太

オリックス 林信一郎野口二郎米田哲也酒井勉岸田護

ソフトバンク 西村省三山内和宏新垣渚松坂大輔武田翔太☆(2018〜)

日本ハム 白木義一郎高橋善正河野博文岩本勉(ツトム)、岡大海

ロッテ 植村義信成田文男伊良部秀輝清水直行藤岡貴裕

DeNA 今西錬太郎(啓介)、権藤正利佐々木吉郎岡本透三浦大輔

西武 武末悉昌郭泰源、松坂大輔、涌井秀章多和田真三郎

広島 長谷川良平西川克弘松原明夫(福士明夫、敬章)、佐々岡真司前田健太

ヤクルト 古谷法夫巽一伊東昭光藤井秀悟寺島成輝

楽天 渡邉恒樹田中将大
(☆は現役)

エースナンバーの戦国時代


ロッテ・伊良部秀輝


 巨人の藤田元司が2年目の1958年に「18」となって以降、2年連続MVPに輝いて印象を築き、それを堀内恒夫が同じく2年目に継承してV9の投手陣を牽引、エースナンバーの地位を確固たるものにした。

 それが他のチームにも浸透し、次第に球界のエースナンバーとなっていった……というのが一般的な定説となっているが、それ以前にも「18」にはエースと呼べる好投手がいなかったわけではない。創設期には“七色の魔球”を操った阪神の若林忠志。名古屋(のち中日)には頭脳派右腕の村松幸雄がいたが、戦死したこともあり、50年まで欠番となっていた。

 戦後は、巨人で2度のノーヒットノーランを達成した中尾輝三(碩志)、低迷する広島を支え続けた“小さな大投手”長谷川良平。阪急では野口二郎から米田哲也が継承して、鉄腕の系譜を作った。球史に名を刻む個性派たちだ。

 その後も、86年に巨人の「18」を継承したのが桑田真澄で、同時期にパ・リーグの盟主となった西武には“オリエンタル・エクスプレス”郭泰源がいた。さらにロッテで伊良部秀輝が、広島では佐々岡真司が、そして横浜で三浦大輔、西武で松坂大輔が「18」を着ける。本格派と言えるエースたちだった。

 だが、他の投手ナンバーの“台頭”もあって、近年は「18」の“権威”に陰りが見えているのも確かだ。広島の前田健太、楽天の田中将大は海を渡り、三浦は引退。この3投手のチームでは欠番となり、巨人の「18」を継承した杉内俊哉や、ソフトバンクで日本に復帰して「18」に戻った松坂は故障に苦しむ。ソフトバンクの「18」を2018年から着ける武田翔太も、まだまだ未知数だ。

 もしかすると、エースナンバーが群雄割拠するような時代が、すでに始まっているのかもしれない。

写真=BBM
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