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プロ野球回顧録

10年前のヤクルト/チーム21年ぶりの最下位にユニフォームを脱いだ古田監督

 

10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
古田敦也監督
セ・リーグ6位
144試合 60勝 84敗 0分 勝率.417

【BASIC ORDER】
投手 グライシンガー(先発)
投手 館山昌平(中継ぎ)
投手 高津臣吾(抑え)
捕手 福川将和
一塁 宮出隆自
二塁 田中浩康
三塁 飯原誉士
遊撃 宮本慎也
左翼 ラミレス
中堅 青木宣親
右翼 ガイエル

1点差ゲームの勝率がリーグ最低


3位争いに加わることもできず、不振の責任を取ってユニフォームを脱いだ古田兼任監督


 中日との開幕カードで3タテを食らい、チーム22年ぶりの開幕4連敗と最初からつまずいた。

 先発投手陣は先発ローテの柱と目されていた川島亮ゴンザレスがそれぞれ右肩違和感、右ヒジの故障で開幕前に戦列を離れた。高卒ルーキー・増渕竜義が事実上の開幕一軍に名を連ねたが、その増渕も起爆剤となり得ず、プロ2戦目の巨人戦で1イニング3被弾など痛烈な洗礼を浴びてファームへ降格。踏ん張りが期待された藤井秀悟石川雅規の両左腕も年間を通して安定感に欠けた。

 そのなかで、掘り出し物の新外国人・グライシンガーがスイスイと白星を重ね、エース・石井一久も「昔の弱いヤクルトに戻したくない」と中4日の登板も辞さず、懸命の投球を続けた。

 だが、守護神・高津臣吾をはじめとするリリーフ陣がピリッとせず、僅差でリードしながら終盤にひっくり返される試合が少なくなかった。1点差ゲームは13勝28敗、勝率.359と、06年に続いてリーグ最低(06年は.435)。すべてをリリーフ陣の責任にすべきではないが、手術のリハビリに専念した石井弘寿五十嵐亮太の不在が痛かった。

 一方の打線は、06年“恐怖の二番”として39本塁打を放ち、他球団を震え上がらせたリグスを三番に据える布陣も、そのリグスが開幕戦でのアーチを最後に、打率.180と極度の不振を極めたまま4月22日、右足付け根の検査のため米国へ帰国。その結果、右手首の骨折と不可解な診断が下った。手術、リハビリを経て7月に再来日後は出場機会もほとんどなく、ファンの期待を大きく裏切った。

上位打線は上々も……


右打者で史上初の200安打をマークしたラミレス。打点王にも輝いた


 古田敦也兼任監督は新外国人・ガイエルを五番から三番に上げ、そのガイエルを、四死球が多く出塁率が高いと判断すれば一番起用(三番に青木宣親)と、苦肉のオーダーを強いられ、最終的には三番・ラミレス、四番・ガイエルで落ち着いた。

 上位打線の個々の成績をとってみれば、申し分ない。青木は年間を通してハイアベレージをキープして、打率.346で2年ぶりの首位打者に返り咲いた。田中浩は打率.296と3年目で飛躍。青木と最後まで首位打者を争ったラミレスは、07年は変化球に右打ちで対応して右打者初のシーズン200安打を達成(204安打)。そしてガイエルは、最終的にホームラン王にあと1と迫る35本まで伸ばした。

 ただし、個人成績がチームの勝利に結びつかない。07年の打線の特色は、二番・リグスの犠打がゼロという06年の超攻撃的な野球から一変、一番・青木が出塁すると、古田兼任監督は徹底して二番・田中浩に送らせた。

 田中浩はリーグ最多の51犠打をマーク。だが、青木・田中浩の一、二番コンビなら、中日の荒木雅博井端弘和までいかないにせよ、もう少し相手の嫌がる攻撃を、あの手この手と仕掛けていっても面白かったかもしれない(青木の盗塁は41から17に激減)。実際、それがヤクルトの伝統的な野球だった。いずれにしても外国人の一発頼みでは、やはりペナントを制すことはできない。

 守備面では、メジャー移籍した岩村明憲の抜けた三塁手として宮出隆自が外野からコンバートされ、06年秋より特守に取り組んできたが、実戦では本拠地開幕戦の4月3日阪神戦で2失策。続いて白羽の矢が立った若手の飯原誉士もまだまだ発展途上で、サヨナラエラーなど18失策と、最後まで三塁守備に不安を残した。

 21年ぶり最下位。90年にヤクルト入団、チームの黄金時代を支えてきた古田兼任監督は、成績不振の責任を取って自らの辞任と現役引退を表明、「残念です」と言い残しユニフォームを脱いだ。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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