2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 ケンカ八郎がまたやった!
今回は『1959年6月24日号』。定価30円だ。センターカラーは『投手に休みなし』。多摩川のグラウンドで投球練習をする
巨人・
藤田元司だ。巻頭グラビアは『巨人北海道へゆく 第1報』。試合ではなく、到着時の前夜祭の様子が掲載されている。千歳空港到着の際は選手に花束が渡され、当時の北海道の人たちにとって、プロ野球がどのようなものだったのかが伝わってくる。
本文巻頭は『不沈戦艦・
金田正一〜巨人を向こうに回す大投手』。開幕直後の不振から立ち直り、9連勝していた国鉄のエースの話だ。スクリューボールを覚えたことで知らず知らずピッチングが小さくなっていたのが、ストレート主体に戻したことで復調したという。前年31勝の左腕がスクリュー主体にスタイルを変えたのは「投手は目先の1勝にとらわれてはいけない。いかに寿命を延ばすかということに全力を注がなくてはダメだ」という考え方から技を覚えようとしてだったようだ。
センターグラビア、さらに本文にも記事があったが、ケンカ八郎がまたやった。5月30日、駒沢球場での東映─近鉄戦で、走者の東映の
山本八郎がスパイクの刃をキャッチャーに向けた荒っぽいスライディング。タッチアウトにはなったが、怒った捕手の
加藤昌利が山本を呼び止めると、山本は振り返りざまに加藤を殴った、というものだ。この時期、パでは、ほかに審判の不手際が原因のトラブルが相次いでいたようだ(山本の件については審判は関係ないが)。
山本は「ぼくの背中をドンとついた。一度、タッチ・アウトを宣告されているんだから、タッチをやり直したということはいえない。明らかに向こうが先に手を出した。だから、ぼくは返したまでのこと」とまったく悪びれていなかった。
また、以前、首の痛みに苦しめられていると紹介した東映のビル西田こと
西田亨が故郷ハワイに帰ったという記事もあった。前年16勝し、20勝も期待されたシーズンだったが、キャンプでは左足ヒザ下のできものに苦しめられ、オープン戦でようやく復帰登板を果たすと、今度は首が回らなくなり、さらに右肩も痛み出した。まさに泣きっ面に蜂だ。
その後、さまざまな治療をし、友人でもあった近鉄のミケンズから勧められ、8キロの鉄球で投球フォームを繰り返してみたが、一向に回復せず、一度、ハワイに戻ってじっくり治療となったようだ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM