鹿嶋での自主トレも当時は恒例だった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月29日だ。
1999年、ダイエーとしての初優勝、初の日本一に貢献し、レギュラーシーズンのMVPとなった
工藤公康だが、球団フロントとの確執もあって、オフにFA権行使を決めた。
大争奪戦の末に工藤が選んだのが、
長嶋茂雄監督の下、V奪回が至上命令となっていた
巨人だった。
西武、ダイエーで優勝を経験している左腕。「優勝請負人」と呼ばれても軽く受け流してはいたが、重圧は当然あったはずだ。
99年12月29日は工藤が茨城県鹿嶋市で自主トレに入った日だ。
「(FA騒動があって)調整は1カ月は遅れている。だから途中でパンクするのが怖いんだ。また一からやり直しになるからね。周囲のペースに惑わされて自分を見失わないようにしたい。開幕までに投げられたらいいよ」
2000年は37歳のシーズン。すでに大ベテランだが、トレーニング、ピッチングフォームについて誰よりも深く研究していた工藤にとって年齢は関係ない。
この日は40分のランニングとダッシュ50分、ネットピッチ100球などを報道陣の前で披露。長嶋監督も「基本的には(調整は)工藤に任せる」と語っていた。
写真=BBM