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プロ野球デキゴトロジー/1月3日

甲子園優勝投手、中日の加藤が交通事故【1965年1月3日】

 

高校時代の加藤(右)と八木沢


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月3日だ。

 1962年、甲子園で春夏連覇を果たした栃木・作新学院高。エースはのちロッテで活躍する八木沢荘六だったが、夏に関しては直前に赤痢となり、アンダースローの第2投手・加藤斌(たけし)が主戦投手となった。

 加藤は高校卒業後、中日に入団。1年目の63年に1勝、2年目の64年は先発、リリーフで31試合に投げ、2勝4敗をマークし、来る65年の飛躍が期待されていた。

 しかし、その65年1月3日だった。地元・宇都宮市に帰郷していた加藤は、作新学院高の仲間たちとの新年会に、買ったばかりの自家用車で出席。その後、二次会に参加するため、今市市内を車で走っていた途中、事故が起こった。

 夜23時20分ごろ、カーブを曲がり損ね、民家のブロック塀に衝突。加藤は意識不明の重体で病院に搬送されたが、意識を取り戻すことなく、翌日死亡した。酒は飲めないタイプだったらしく、飲酒運転ではなかったようだ。

 事故の知らせを聞き、東京の世田谷区に自宅があった中日・西沢道夫監督が、すぐ病院に駆けつけるも、間に合わず、すでに息を引き取っていた。性格が優しかった西沢監督は「そんなバカな、バカなことがあるもんか」と言って号泣した。

写真=BBM
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