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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説12】わざと緩い球を投げたバカ肩の遊撃手・木塚忠助

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

異常に広かった守備範囲


恐ろしいまでの強肩だった木塚


 名人木塚の後に木塚なし、と言われた遊撃守備の名手・木塚忠助。門司鉄道局時代には俊足強打の三塁手として「門司の赤鬼」とも呼ばれた。

 南海では1年目からショートのレギュラーとなったが、その守備範囲が異常に広い。三塁手が抜かれた三塁線のゴロに飛びつきもせず、逆シングルで捕って刺し、普通ならセンター前に落ちる球を背走で軽々とキャッチした。

 一塁手の飯田徳治はのち「投手の股を抜くような当たりに追いつき、アンダースローで送球。その後、地面をクルリと回転して立ち上がる。あんな遊撃手、その後も見たことない」と称賛した。

 肩も強く、鶴岡一人監督は「三塁線からノーステップで投げたのが最後になって一塁スタンド上部までいったことがある。あれは強肩なんてもんやない。バカ肩や」と話している。

 ベテランになってからだが、平凡なゴロをわざと山なりで送球し、相手打者を挑発することもあった。

「どんな握りでも投げられるように練習しているうちに、腕の振りが変わらず、しっかりコントロールできる緩い球が投げられるようになった。お客さんが喜んでくれるんで、親分も『時々、やってみろ』って許してくれたんです」と木塚は言った。

●木塚忠助(きづか・ただすけ)
1924年4月23日生まれ。佐賀県出身。唐津中から門司鉄道局を経て48年南海入団。1年目から遊撃の守備位置に就き、100万ドルの内野陣のカナメとなる。49年からは4年連続盗塁王に輝く。50年の78盗塁は当時の最多記録だった。57年近鉄に移籍し、59年限りで現役引退。引退後は近鉄などでコーチに。87年12月16日死去。通算成績1288試合、1216安打、42本塁打、360打点、479盗塁、打率.262。

写真=BBM
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