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背番号物語

【背番号物語】「#23」好守好打の野手ナンバー。吉田義男が唯一の永久欠番

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

豪華だった1950年代



 近年は投手も多くなっているが、芸術的な遊撃守備で“今牛若丸”と呼ばれた阪神の吉田義男が唯一の永久欠番になっていることもあり、守備の名手という印象が強い「23」。実際、内外野を問わず好守の野手は多い。だが、その守備にとどまらず、打っても走っても一流という名選手が並んでいるのも特徴だ。

 守備位置も打者のタイプも多様だが、特に吉田がいた1950年代から60年代にかけては「23」が華やかだった時代。巨人の初代でもある“人間機関車”呉波(昌征)、その背番号を継承したのが同じく強肩外野手でもあった“じゃじゃ馬”青田昇、南海“100万ドルの内野陣”で一塁を守った飯田徳治ら、複数チームにまたがって背負い続けた好打者も多い。特に飯田は「23」にこだわり、サンケイと南海でコーチとしても「23」を着けている。

【12球団主な歴代背番号「23」】
巨人 呉波(昌征)、青田昇、上田和明脇谷亮太野上亮磨☆(2018〜)

阪神 原一朗渡辺誠太郎、呉昌征、丸岡武、吉田義男★

中日 桝嘉一木俣達彦川又米利鈴木義広遠藤一星

オリックス 堀尾文人矢野清小川博文北川博敏伏見寅威

ソフトバンク 飯田徳治、堀井和人高柳秀樹村松有人城所龍磨

日本ハム 土井垣武津末英明金石昭人二岡智宏渡邉諒

ロッテ 呉昌征、水上善雄佐藤健一(兼伊知)、大塚明酒居知史

DeNA 青田昇、長崎慶一、ローズ、藤田一也松尾大河

西武 畑隆幸西岡良洋大塚孝二(光二)、許銘傑(ミンチェ)、野田昇吾

広島 松山昇山崎隆造植田幸弘横山竜士薮田和樹

ヤクルト 飯田徳治、簾内政雄酒井圭一青木宣親山田哲人

楽天 関川浩一聖澤諒
(☆は現役、★は永久欠番)

攻守走の達人たち


ヤクルト・山田哲人


 63年限りで現役を引退した飯田と入れ替わるように、翌64年に「23」を着けたのが中日の木俣達彦だ。“マサカリ打法”でセ・リーグの捕手として初めて30本塁打を超えるなど強打で鳴らした。その継承者となった関川浩一は楽天で「23」の初代となり、これを受け継いだ聖澤諒の外野守備は球界屈指だ。

 南海で飯田が築いた俊足巧打の系譜に連なるのがダイエー時代の村松有人だろう。外野手だが、90年代は足で黄金期を呼び込み、2000年代はバットでも優勝に貢献した。

 洋松・大洋で青田の強打を継承したと言えるのは横浜“マシンガン打線”で四番を務めたローズ。3度のサイクルヒットを達成したスラッガーで、二塁守備も巧みだった。

「23」から若い番号へ“出世”した選手も少なくない。77年に「23」を着けたのが巨人の松本匡史と広島の山崎隆造。松本は「2」でセ・リーグ最多の76盗塁、「1」の山崎はタイトルこそないが通算盗塁成功率.778という安定感を誇り、“広島機動力野球の申し子”と評された。特筆すべきはヤクルト。青木宣親、山田哲人が「23」から「1」に“昇格”。山田が「23」で初のトリプルスリーを達成した15年を最後に欠番となっている。

 ちなみに、吉田の「23」も現役を引退してから欠番が続き、序章でも触れたが、監督を退任した87年に正式な永久欠番となったもの。その吉田も好守だけの選手ではない。55年にはリーグ最多の147安打を放ち、盗塁王も2回。国鉄と巨人で400勝を積み上げた金田正一が最も苦手とした巧打者だ。

写真=BBM
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