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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説18】野村克也のID野球のルーツは“カーブのおばけ”にあった

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

カーブを打つために一念発起


苦手な球種の克服が野村を成長させた


「俺は不器用だった。でも、だから長くプロでやれたんだ」

 南海の強打者・野村克也の言葉だ。若手時代はとにかくカーブが苦手で、まったく打てなかった。これが相手チームだけでなく、ファンにもバレてしまい、「野村、野村、カーブのおばけがくるぞ」、「カーブの打てないノ・ム・ラ」とヤジられた。

 悩みに悩んで、他チームの強打者、大毎・山内和弘、西鉄・中西太らにもコツを聞いたが、みな「そのうち打てるようになるよ」だった。

 ここで野村は一念発起。カーブと分かれば打てるはずと、相手のクセや配球をとことん調べ、同時に捕手として打者を分析。西鉄・稲尾和久のように分かりづらい投手は、16ミリの映像を擦り切れるほど見て研究した。

 これで投手の球種が手に取るように分かるようになり、いまでも「プロ野球でヤマを張らせたら野村の右に出る者はいない」と自負している。

 結果的には、この研究が選手野村を成長させただけでなく、のち指揮官として掲げた「シンキングベースボール」、「ID野球」にも影響を与えたのだから、カーブのおばけと言うより、カーブの神様と言ったほうがいいのかもしれない。

野村克也(のむら・かつや)
1935年6月29日生まれ。京都府出身。峰山高から54年途中にテスト生として南海入団。56年春のキャンプで頭角を現して正捕手に定着。翌57年には初タイトルとなる本塁打王に。以降数々の打撃タイトルを獲得し、65年には戦後初の三冠王。70年からは兼任監督に。77年限りで退任となると、ロッテ西武へと移籍し、80年限りで現役引退。89年野球殿堂入り。その後はヤクルト阪神楽天で監督。主なタイトルはMVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回。通算成績3017試合、2901安打、657本塁打、1988打点、117盗塁、打率.277。

写真=BBM

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