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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説21】頭に死球を受け、血を流しながらプレーした金田正泰

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

ダイナマイト打線の一角として活躍


とにかく負けん気が強かった金田


 監督としての評価は賛否両論ある阪神金田正泰だが、選手としては球団屈指のヒットメーカーとして名を残す。戦前は大した成績は残していないが、戦後46年にブレーク。いきなり首位打者を手にし、以後、ダイナマイト打線の一角として活躍した。

 とにかく負けん気が強く、阪神入団も「平安中(出身校)の先輩もおらず、契約金も一番安かった。厳しい環境でやりたかったから」と選んだ。首位打者のオフも球団ともめ、一度、退団。商売をやって、かなり成功していたというが、翌年の開幕直前に復帰している。

 相手の執ような内角攻めにブチ切れ、バットを持ってマウンドに向かったり、しつこくヤジる客と本気で怒鳴り合ったりしたこともあったという。

 その真骨頂が1950年の国鉄戦。左腕ルーキー・金田正一の快速球がヘルメットをかぶっていない頭部に直撃。耳から血が流れた。しかし、すぐ平気な顔で立ち上がり、一塁へ。その後も平気な顔でプレーを続けた。

 翌日も頭痛があり、周囲は止めたがスタメン出場。ただ、「太陽がグルグルまわっとる」と言って、試合中にぶっ倒れた。

金田正泰(かねだ・まさやす)
1920年10月21日生まれ。京都府出身。平安中から42年阪神入団。終戦後の46年には首位打者に輝き、ダイナマイト打線の一、二番打者となった。三塁打が多く、51年には史上最多18本をマークしている。57年限りで現役引退。その後は2度、阪神監督を務めている。92年12月5日死去。主なタイトルは首位打者1回。通算成績1476試合、1527安打、55本塁打、568打点、187盗塁、打率.285。

写真=BBM
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