豪快なフルスイングが特徴だった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月14日だ。
1996年、球史に残る大逆転劇「メークドラマ」でリーグ優勝を果たしながら日本シリーズでは、
イチロー擁する
オリックスに敗れた
巨人。そのオフ、前年同様33億円とも言われる資金を投入した大型補強を行ったが、これがかなりチグハグだった。
西武の「四番・一塁手」の
清原和博、2年連続2ケタ勝利を挙げていた
ロッテの長身左腕のヒルマン、台湾プロ野球で3年連続打率3割5分以上を残し、「台湾のイチロー」と言われた三塁手のルイスを獲得。さらにダメ押しとばかり、1月14日には近鉄の「四番・一塁手」の
石井浩郎と、
石毛博史、
吉岡佑弐との交換トレードが発表された。
石井は94年には打点王にも輝いた勝負強いバッティングが持ち味。93、94年には清原をしのぎパの一塁手ベストナインに選ばれていた。しかし、左手首の負傷で長期離脱。2試合の出場に終わった96年末、渡米しロスで手術も「渡航費や治療費は負担できない」と球団から告げられ、さらに契約更改では60パーセントの年俸ダウン提示をされて移籍志願をしていた。
長嶋茂雄監督は石井獲得を受け、「あれだけの実績がある選手ですからね。まずケガの完治を考えたい。左手首は時間がかかると思うよ。7月、8月まで復帰が遅れてもやむを得ないね」と語った。ポジションに関しては清原と一塁で競合してしまうが、長嶋監督は「サードで使います。サードなら打球が飛ぶのは1試合で5、6回じゃないの」とあっけらかんと語った。
結果的には清原獲得で96年の「四番・一塁手」の
落合博満が退団し、ヒルマンは肩痛でほとんど役に立たず、清原、ルイスもぱっとせず、と散々。石井もケガが復帰した夏場には活躍したが、その後、再び故障で戦線離脱。巨人にとっては悪夢のような1年となってしまった。
写真=BBM