今年、創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3500号も近い。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 座談会で石原裕次郎が登場
今回は『1959年10月28日号』。定価は30円だ。まず巻頭グラビアは10月3日、大雨の
広島球場で決まった巨人の優勝シーン。センターグラビアでは10月4日、同じく雨中で決まった南海の優勝シーンだ。
実は、この雑誌には「ミステリー」がある。表紙文字が写真の『特別対談 藤田元司─石原裕次郎─
長嶋茂雄』バージョンと『特集 巨人・南海、優勝の日・秘話』の2つの雑誌が現存しているのだ。残念ながら当時を知る者がいまの会社におらず、理由は分からない。
ひとまず本文巻頭は『巨人・南海、優勝の日・秘話』。「第一話・水原監督と若手の間」「第二話・活字にならなかった両監督の発言録」「第三話・
川上哲治」「第四話・蔭山コーチの愛のムチ」「第五話・忘れられた人々」で構成されている。
座談会は売れっ子で巨人ファンの石原裕次郎参加の座談会。タイトルは『選手権でがんばろう』だ。野球に対する話ではないが、「さすが大スター」と感じる石原の話があったので抜粋する。
石原 僕は変わってるんだ。せりふなんか台本もらっても、みんな忘れちゃう(笑)。読んだことないんです。いまの映画でも知らないんです、ストーリーは。それがおかしなもんで、十回もやっていると、相手役のマコちゃん(北原三枝。のちの夫人で本名は荒井まき子)がきてなにかしゃべるでしょ。ははあと思っているうちに、十回やったらストーリーたいがい分かりますよ。
歌の吹き込みだって歌詞覚えてったことない。それでポカポカうしろからやってるの聞いているうちにのみ込んじゃってオーケーって五曲くらいすぐすましちゃうんです。だから、覚えるの早いけど、忘れるのも早い。だいたい流行歌なんて似てるでしょ、節が。だから、ちょっと聞いていて、なんだこれ“有楽町で逢いましょう”に似てるじゃねえかなんて(笑)。見当つけて歌っちゃう。ひどいもんだよ(笑)。で、そのころになると有楽町のほうがつい出ちゃってブーブーブー(笑)。NGですよ。
※先日の9月以降入団の選手が日本シリーズに出られるかの話ですが、当時の週べでは9月以降、
堀本律雄を取って日本シリーズの秘密兵器に、という内容で間違いありませんでした。ただ、61年9月入団で「秘密兵器」と言われた巨人・
村瀬広基の記事では、確かに「9月以降の入団なので日本シリーズには投げられない」という記述がありました。59年当時の編集部の勘違いか、あるいは61年春の「柳川事件」の関係で、村瀬のときから規制があったのか、のいずれかだと思います。すいませんが、今度、はっきりしてからまた記事にできればと思っています。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM