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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説25】打者をいらだたせた8時半の男・宮田征典の“間”は心臓疾患のためだった

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

川上監督に2人だけで決めたサインを送り……


心臓に疾患を抱えていたが、マウンドでは弱みを見せなかった宮田


 1965年、巨人V9のスタートの年の最大の功労者が、“8時半の男”と言われた抑えの宮田征典だ。69試合に投げ、20勝5敗。規定投球回にも達し、防御率2.07はリーグ4位だった。当時、セーブ制定はなかったが、現行の制度なら22セーブがつく。

 宮田の武器は、抜群の制球力と落ちるカーブ、ミヤボール、さらに独特の長い間(ま)だった。相手がいらつき、ボークではないかと相手チームから抗議されたこともある。優れた観察眼で打者心理を見抜き、相手をじらす目的もあった。サインも捕手任せではなく、打者の雰囲気を見て自分で決めていたという。

 ただ、心臓に疾患を抱え、この間でなければ投げられなかったこともある。あまりの心臓の動悸の早さに、川上哲治監督に2人だけで決めたサインを送り、交代してもらったこともあった。そのときも相手にスキは見せられないと、必ず打者を打ち取ってからだった。

 そして、平気な顔をしてゆっくりベンチに帰り、すぐ医務室に向かうと、氷嚢(ひょうのう)で心臓を冷やした。

 すべてを知っていた川上監督はMVPが王貞治に決まった後、選考にあたった記者たちにポツリと言った。

「宮田にやれんかったのか」と――。

宮田征典(みやた・ゆきのり)
1939年11月4日生まれ。群馬県出身。前橋高から日大を経て62年巨人入団。心臓の疾患もあって短いイニングのリリーフとして起用された。64年途中には右肩亜脱臼で離脱したが、65年に復帰すると主にリリーフながら20勝を挙げた。66年以降は故障や内臓の疾患に苦しみ69年限りで現役引退。2006年7月13日死去。通算成績267試合登板、45勝30敗、防御率2.63。

写真=BBM
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