会見での馬原。右は村山球団本部長
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月18日だ。
FAのドラマは本人だけではない。人的補償として、まさに青天のへきれきで移籍を告げられる者がいる。単に移籍の衝撃だけではなく、「球団からプロテクトされなかった」という事実も本人にとっては重い。
2012年オフ、
オリックスから
ソフトバンクへFA移籍した
寺原隼人の人的補償として、オリックスへ移籍となったのが、ソフトバンクの守護神に君臨し、07年には最多セーブを獲得した
馬原孝浩だ。
12年は右肩の手術により登板はなかったが、本人にもファンにもまさかの「プロテクト漏れ」だった。
2013年1月18日は、ほっともっと神戸で馬原の入団会見が行われた日だ。右肩の状況は「完治はとうに過ぎている。手術前よりはるかに(状態が)いい」と万全を強調。通算180セーブの実績から、オリックスでも守護神を託されるのは確実と言われ、本人も(通算200セーブは)「クリアしなければいけない数字」と、新天地での奮闘を誓っていた。
馬原は13年、再び右肩痛に襲われ、3試合登板に終わったが、翌14年は55試合に登板し、シーズン2位に貢献した。
写真=BBM