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背番号物語

【背番号物語】「#32」伝説の長距離砲から連なる打者の出世番号

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

初代に並ぶ投打のレジェンド



 1リーグ時代の1942年、巨人で「32」の初代となったのが青田昇。“じゃじゃ馬”と呼ばれ、戦後になって5度の本塁打王に輝いた長距離砲だ。同年、中日の初代となったのが小鶴誠。アマチュア時代の因縁で、出身地から飯塚姓を名乗っての入団だったが、やはり“和製ディマジオ”と呼ばれた大砲だった。

 2リーグ分立の1年だけだったが、広島の初代が“小さな大エース”長谷川良平。「18」となって低迷する市民球団を支え続けた右腕だ。一方、2リーグ分立後に日本ハムオリックスの初代となった伊藤万喜三は現在もプロ野球記録となるゲーム18失点を喫した左腕。長谷川とは違った角度で当時のプロ野球を物語る投手だ。

 伊藤と入れ替わるように同じパ・リーグの南海へ入団した宅和本司は新人年から2年連続で最多勝に輝いたが、3年目に急失速。以降、投手は少数派となっていったが、好打者の系譜は近年まで続いている。

【12球団主な歴代背番号「32」】
巨人 青田昇、滝安治萩原康弘大森剛橋本到

阪神 バーンサイド池田純一加藤博一坪井智哉山崎憲晴☆(2018〜)

中日 飯塚(小鶴)誠、伊藤竜彦桑田茂山田喜久夫(キク)、石垣雅海

オリックス 伊藤万喜三、金本秀夫細川安雄南牟礼豊蔵ディクソン

ソフトバンク 加藤喜作、宅和本司、新山彰忠佐々木宏一郎塚田正義

日本ハム 伊藤万喜三、島田雄二佐伯和司中嶋聡大累進

ロッテ 大館勲夫若生智男新井昌則根元俊一高濱卓也

DeNA 種田弘日下正勝高橋雅裕井上純高城俊人

西武 橋野昭南石井毅犬伏稔昌浅村栄斗永江恭平

広島 長谷川良平、三好幸雄内田順三西山秀二白濱裕太

ヤクルト 小淵泰輔、奥薗満、尾花高夫小野公誠松本直樹☆(2018〜)

楽天 前田忠節沖原佳典小坂誠、松井稼頭央、枡田慎太郎
(☆は現役)

低迷期に輝く稀少なエース


ヤクルト・尾花高夫


 打者の出世番号となっているのが西武だ。松井稼頭央は「32」で頭角を現して「7」へ“出世”。その後も移籍してきた石井義人が開花し、浅村栄斗は2013年に打点王となって、現在は「3」を背負う。松井は楽天でも「32」から「7」へと同じ経過をたどった。

 近年は移籍などで加入したベテラン打者がリレーしているが、かつては阪神でも台頭する若手が続いていた。好守も印象に残る池田純一を皮切りに、加藤博一はプロ10年目にして「32」でブレークし、坪井智哉は1年目から「32」で首位打者を争っている。

 ロッテの“走る将軍”西村徳文も若手時代は「32」。現役では攻守走で中日を引っ張る大島洋平もルーキーイヤーの1年だけ着けていた。

 17年限りで広島を退団した梵英心も同様で、やはり攻守走にわたる活躍が認められて新人王に輝いている。ただ、広島は低迷期に司令塔の西山秀二が長く着けていた背番号で、梵を挟んで現在は捕手の白濱裕太が継承している。

 他のチームにも捕手は散見され、中嶋聡は4球団目の日本ハムへ移籍して最初の背番号が「32」。さかのぼれば、ヤクルトの大矢明彦も新人年だけ「32」だった。

 その後継者が尾花高夫。2203イニング連続で押し出し四球がない制球力で、日本一イヤーの78年から低迷期にかけての14年間、ヤクルトと「32」を背負い続けた。少数派の投手にあって、さらに稀少なエースだ。

写真=BBM
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