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背番号物語

【背番号物語】「#35」若手の出世ナンバーと名選手の“惜別ナンバー”

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

好打者の若手時代



 打者の出世番号と言える「35」。古くは“世界の代打男”阪急の高井保弘がいる。プロ4年目に「35」となって初の代打本塁打。9年目に代打での5本を含む15本塁打で遅咲きの花を咲かせて、さらに背番号を若くした。

 相模原市役所に勤める公務員で、軟式で投手としてプレーしていたが、大洋のテストを受けて打者として合格した変わり種が高木好一(のち嘉一、由一)だ。その大洋での印象も強い加藤博一は移籍などで7つの背番号を渡り歩いた苦労人で、太平洋で着けた3番目の背番号。まだ二軍の主力だったころだ。

 現役ではロッテ鈴木大地が1年目から着け、2年目に早くもブレーク。「7」となって中心打者へと成長した。その初代は2リーグ制となって初の日本一に導いた湯浅禎夫監督。2018年からヤクルトの指揮を執る小川淳司監督が現役時代に着けていたのも「35」だ。

【12球団主な歴代背番号「35」】
巨人 藤本英雄千田啓介淡口憲治清水隆行西村健太朗

阪神 中田金一土井豊服部浩一舩木聖士才木浩人

中日 山本静雄与那嶺要(コーチ)、伊藤泰憲幕田賢治木下拓哉

オリックス 高頭時夫、高井保弘、古溝克之大久保勝信比嘉幹貴

ソフトバンク 元田昌義吉田博之、バルデス、村松有人モイネロ

日本ハム 海野尚武岩井隆之今関勝(勝一)、榎下陽大西村天裕☆(2018〜)

ロッテ 湯浅禎夫(兼任監督)、庄司智久、渡辺英明、鈴木大地、渡邉啓太☆(2018〜)

DeNA 林健造、高木好一、前泊哲明牛田成樹三上朋也

西武 重松通雄(二軍監督)、中島淳一、加藤博一、土肥義弘牧田和久

広島 桧垣忠山根和夫、望月一(秀通、秀継)、竹野吉郎(充昿)下水流昂

ヤクルト 宇佐美一夫茂木忠之、小川淳司、三木肇菊沢竜佑

楽天 大廣翔治島内宏明
(☆は現役)

他のチームで“出世”する打者


巨人・淡口憲治


 好投手で若手時代に着けていたのが、巨人の初代で、のちにプロ野球初の完全試合を達成した藤本英雄。2年目にプロ野球記録の19完封を含む34勝を挙げたが、「35」もその1943年まで。翌44年は戦局の悪化により背番号が廃止されたためだ。現在はリリーバーの西村健太朗が継承している。

 近年では西武の牧田和久が新人王にもなった1年目から一貫して「35」。海を渡り、2018年からパドレスでプレーすることになった。ちなみに新背番号は「35」の数字を入れ替えた「53」だ。

 他のチームで“出世”する打者が続いてしまったのが、戦後になって打者が多くなった巨人だ。控えの千田啓介は移籍したロッテで、「左投手に弱い」とレッテルを張られていた淡口憲治も近鉄で、四條稔もオリックスで、それぞれ活躍。淡口と同様に球界最速の打球スピードと評された左打者の清水隆行(のち崇之)は粘ったが、「9」へ変更してからのほうが長く、最後の1年は西武で過ごした。

 逆に、ベテランとなった名選手が移籍によって「35」を着けて現役を引退したケースも投打に散見される。投手では、日本ハムでノーヒットノーランを達成した“オオユキ”田中幸雄が90年に中日へ移籍して「35」となったが、故障もあって一軍出場のないまま2年で引退。

 打者では、ダイエーで“平成の韋駄天”と呼ばれた村松有人がオリックスを経てソフトバンクとなった古巣に復帰して「35」を着けたが、やはり2年目、チームがリーグ優勝を決めた日に引退を表明している。

写真=BBM
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