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パンチ佐藤の漢の背中!

【セカンドキャリア】建築関連企業を経営する元巨人・松谷竜二郎【パンチ佐藤が直撃!】

 

『ベースボールマガジン』で連載しているプロ野球選手の第2の人生応援プロジェクト「パンチ佐藤の漢の背中」。現役を引退してから別の仕事で頑張っている元プロ野球選手の下をパンチさんが訪ね、お話をうかがってまいります! 今回は90年代の巨人などで活躍し、現在は建築関連企業・スチールエンジ株式会社代表取締役社長を務める松谷竜二郎さんをお訪ねしました。

野球界は小さな世界。ここだけでやっていては人間的成長がないと思った


現在はスチールエンジ株式会社代表取締役社長を務める松谷さん(左)


 オフィスに入ると、女性社員がにこやかに迎えてくれた。テキパキと応接室に案内され、社長を待つ。間もなくやってきた“スチールエンジ株式会社・代表取締役”が、今回のゲスト・松谷竜二郎さんだ。

「受付ですぐ、会社の雰囲気って分かるんだ。さっき女性社員2人の笑顔を見て、ああ、いい感じ、いい感じって思ったよ」とパンチさんが誉めると、「パンチさんが来たからじゃない?(笑)」と松谷さん。社会人、プロと直接対決はないものの、同い年の同級生、元熊谷組−現建設関連会社社長という共通点もあり、あっという間に話が弾んだ。

パンチ 会社社長かあ。すごいね。今、何人社員を抱えているの?

松谷 全体で85人ぐらい。東京本社のほかに北海道、仙台、名古屋、大阪、岡山、福岡の支店にも人がいるから。

パンチ 具体的にどんな仕事をしている会社なの?

松谷 ビルの床関係だね。ゼネコンから請け負って、床のベースになる『デッキプレート』という材料を組み、生コンを流す直前までの専門工事をする。建物を作るときは、サッシ工事、鉄骨工事……と何十種類もの工事があるんやけど、その中の1〜3種を専門工事業として請け負っているわけ。

パンチ わが古巣・熊谷組ともずいぶん取引があるらしいね。

松谷 今首都圏の(取引先)の中ではトップ3ぐらいに入るんちゃうかな。「俺野球部やったし、いけるわ」って簡単に思っていたら、前の会社にいたころ、初めの1年半くらいは、仕事をもらえなかったけどね(苦笑)。

パンチ そもそも、どういう経緯でこの業界に入ったの。

松谷 1997年に近鉄を自由契約になって、グループ会社に就職できないか聞いたんだけど、ダメでね。それで、巨人の末次(利光)さんに「何か仕事、ありませんか?」と電話して、台湾のチームを紹介されたんだけど、それも結局、肩が痛くてダメだった。そこから5カ月、自分で仕事を探しても、なかなか決まらず。最終的に末次さんから、藤田元司さんと接点のあった会社の社長さんを紹介してもらって、そこに就職したの。

パンチ 最初末次さんに相談したときは、野球関係以外でもいいと思っていたの?

松谷 肩を痛めていたしね。まずバッティングピッチャーは難しいでしょう。フロントの仕事は、以前サラリーマンを経験していたから、自分の性格上いろいろ大変かなと思ってね。マグロ漁船に乗ったら100万くらいもらえるなんて話も聞いたし、なんとでもなるわって(笑)。

パンチ そこでスッパリ切り替えたんだね。なかなか球界から離れられない人も多いじゃない。

松谷 野球界って、離れてみると非常に小さな世界なんだね。俺は、そこだけでやっていても自分は人間的に成長できないんじゃないかと思った。

“ジャイアンツスピリット”はビジネス界でも役に立った


巨人在籍時は斎藤、槙原、桑田のいわゆる「3本柱」の全盛期。投手陣の層が厚い時代だった


パンチ 話はさらに戻るけど、もともとプロ野球志望だったの?

松谷 小学校くらいから、「プロ野球に行くんや」とは言っていたんだけど、周りにはいつも無理だ、無理だって言われていてね。そこで反骨心みたいなものを発揮して、有言実行しようとそれなりに努力はしたと思う。

パンチ だけど結構な進学校(大阪市立高)に進んでいるよね?

松谷 併願で北陽を受けたんだよ。母親が「公立高校行ってくれ」って言うから、レベルの高い公立を受けて落ちて、「しょうがないね、お母さん」と言って北陽に行くつもりが、定員割れでたまたま受かっちゃった(笑)。

パンチ その高校でも、プロを目指してやっていたんだ。

松谷 たまたまそのとき、いい選手が集まっていてね。府大会でベスト8まで行ったからさ。最初はぼんやり「プロに行くぞ」と言っていたのが、高2のときにプリンスホテルの人がスカウトに来たり、ドラフトのころ雑誌に取り上げられるようになったり、少しずつ現実化していった。

パンチ それで社会人(大阪ガス)に行って……。

松谷 全日本に入って、「行けるかな」と思い始めたね。だけどまさか巨人に行くとは思わなかった。

パンチ 当時の巨人は、斎藤雅樹槙原寛己さん、桑田真澄の3本柱全盛期でしょう。

松谷 投手陣の枠が正直1人余るか余らないかくらい。鹿取(義隆)さん、角(盈男)さん、ガリクソン……俺はたまたま故障者が出たから、その中に入れたんだけどね。ボールを見た感じではそんなに変わらないと思ったけど、やはり俺には持続する力がなかった。投手層が厚かったのは事実でも、自分の力量がなかったから、層の厚さを余計感じたんだよ。

パンチ 巨人のいいところは伝統とか人脈のラインがあることだと思うんだ。そこはセカンドキャリアに進んでも感じたんじゃない?

松谷 マインド的なところかな。“ジャイアンツスピリット”みたいなね、基本に忠実にやっていく。巨人に入ったとき、とにかく反復練習しかさせてもらえなかったの。バント練習とキャッチボールとトスバッティング、それにサインプレー。一番肝の部分を「基本が大事や」って、何べんもやり直しするわけよ。そこはビジネス界でも大切だからね。今の仕事の人脈は、どちらかといったら社会人野球で一緒にやっていた人たち。そこは今も、大事にさせてもらっているよ。

パンチ それは2000本打ったとか200勝したとか、もう関係ないよね。やっぱり最後はハートとハートというか。それだけだよね。

松谷 人間味というかね、そういう“らしさ”がある。引退してもちゃんと生き残っている人は、そういうものを持っているからね。

パンチ 最初の会社では、どんな役職で、どんな仕事をしていたの?

松谷「君にはすぐ社長になってもらいたい」って言われてその建設会社に入ったんだけど、ある意味だまされたというか(笑)、やっぱり最初の1年間は、会社をよく知るために現場へ行って、ヘルメットをかぶって一連の作業を全部。

パンチ それはむしろ、感謝しなきゃダメじゃない(笑)。しかしさ、俺はヘルメットかぶって作業着を着てやっていける自信があるけど、松谷君も「社長」の何のと言われて、よく現場で一からやっていけたね。

松谷 そらもう、いっぺん野球は切ってるからね。野球を切らな無理よ。

パンチ そうだよね。それができたら、何でもやれるんだよね。

松谷 でも中にはそれができない人がいて、音信不通になるんだ。

相手の求めていることを考え、相互関係を信頼関係に変えることの繰り返し


95年に近鉄へ移籍。春季キャンプ後の3月に決まった金銭トレードだった


 一般企業に就職し、現場へ出てみると、周囲のスタッフはみな年下ばかり。しかし、誰もが松谷さんより現場の経験を積んでいる。年功序列の野球界とは違い、呼び捨てであれこれ、指示された。

「元巨人の選手」という肩書は通用しないし、自ら明かそうともしなかった。必死に仕事を覚え、仕事に関連した本を読みあさった日々。営業マンとして契約件数が増えていくにつれ、責任ある仕事を任されるようになった。そのうち、年下のスタッフたちと実力も立場も逆転。やがて、誰もが「松谷さん」と呼ぶようになった。

パンチ われわれ野球選手は打たれたら、「なんで打たれたんだろう、今度あいつを打ち取るためにこうしたらいいかな」とか考えるじゃない。それが会社では、1年間でどんどん仕事を覚えて契約も取れるようになってって……似たところがあるよね。

松谷 この人は何を求めているんかな、背中をかいてあげるならどこが一番気持ちいいのかなってところを見つけるのが、一つのサービスになる。すると、「こいつは俺のこと分かってくれるな、こいつに仕事やらせよう」って。相互関係が信頼関係になっていく。それの繰り返しやね。

パンチ その中で大きな失敗とか壁はあった? いい感じにスルスル、ここまで来たの?

松谷 壁は……ほとんど壁ちゃう?(笑)。一歩進んだら壁。その壁を破っていくのか、バックするのか迂回するのか。壁の高さによって対応は変わるけど。そうやって仕事を覚えていかなあかんときに、最初に就職した会社が傾いた。職人に金を払えない、給料は遅延する……それで最終的に1年半ほどで今の会社の前身に転籍したわけ。だけど、前の会社では会社の浮き沈みも含めて生で感じたから、非常に勉強になったよ。勤めてよかったと思う。

パンチ すべてを教わったわけだね。10年経っても分からないやつは分からないんだから、素晴らしいよ。この会社を作るとき、どんな会社にしようというイメージはあったの?

松谷 俺がここに入ったときは、巨人のトレーニングコーチをしていた阿野(鉱二)さんが責任者だった。俺に替わったのは、それから2、3年後で、俺が39歳のとき。かれこれ14年くらい社長をやってる。やっぱりこういう会社は自分一人ではできないよね。取引先があって、仕入れ先があって、いろんな人と携わることが多いでしょう。取引先も大切だけど、仕入れ先を大事にしとかんと商売成り立たない。

 じゃあ仕入れ先はどこかというと、ウチの場合は現場で働く職人さん。「ウチが仕事出してやっているんだ」という態度じゃなく、「あなたたちがいるから、私たちもメシが食える。逆もそうだよね」って常にフィフティーフィフティーの関係でいるよう、ウチのスタッフにも意識付けしているね。あとはまあ、簡単なことよ。スポーツをしているとき大きな声を出すとか、あいさつをするとか、「誰にでもできることをしっかりやっていこう」っていう理念でずっとやっていますよ。

パンチ(応接間に飾られた写真を見て)これ、社員旅行の写真でしょ。みんな、いい顔しているよね。「社員旅行だから行かなきゃいけなくてさー」って感じじゃないんだよね。

松谷 昨今、社員旅行なんか一番削減するところじゃない。ウチは毎年1回、台湾だのなんだの行ってるな。俺自身は1年間みんなで働いた、決算が終わって儲かった金で、みんな一緒に旅行しよう、と。仕事以外で寝食ともにすることなんてないから、いろんな話ができるしね。コミュニケーションをとって、切り替えて、また頑張ろうという思いで俺はやってるけど、社員の本心は分からない(笑)。

パンチ そういうのってさ、プロ野球時代に仕えていた監督さんの言葉とか姿勢とか、なんか参考にしていたり、頭にあったりするの?

松谷 巨人のときが藤田さん、長嶋茂雄さん。近鉄が鈴木啓示さん、佐々木恭介さん。みんなそれぞれ、素晴らしい監督だったよ。王(貞治)さんは巨人で入れ替わりなんだけど……ウチが福岡に事業所を出したとき、王さんがソフトバンクの監督をしていらしたので、訪ねていって九州の企業の事情を教えてもらったの。王さんは大社長になれるなっていうくらい、人に対しての配慮、気配りがすごいんだよね。

パンチ 俺、巨人から(オリックスに)来た高田誠に聞いたことがあるんだよ。王さんが巨人の監督時代、練習中に「俺、ちょっとバッティングやりたいんだけど、高田のこのバットは練習用か、試合用か?」って聞かれたんだって。「練習用です」と答えたら、「じゃあ借りてもいいかな」って。ふつう、「借りるぞ!」で済ませちゃうじゃない。

松谷 ビックリするもん。(王さんが関係している)財団のパーティーで、王さんはずっと立って目配りしているんだよ。それでスタッフに、「イスが足りていないんじゃないか。もっとイスを出してもらえるかな」とか自ら指示しているんだから。

パンチ さすがだよね。今、一番幸せに感じているのはどんなとき?

松谷 さっきパンチ君が写真見て「あんたのところの社員さん、楽しそうにしているね」って言ってくれたでしょ。それはうれしいわね。自分のことより。だって自分はもう明日死ぬかも分からん。だからこの一瞬一瞬は大事にしていきたいけど、社員は残るからね。残った人が、「あのおっさん、ヤンヤ言ってたけど、いいおっさんやったな」って言ってくれればうれしいかな。

パンチ すげえな。

松谷 昔の俺――野球しているときの俺を知っている人間は、みんな「お前変わったな」って言うね。「血液型、変わったんちゃうか」って(笑)。

今はまだ、成長過程。止まったら死ぬマグロみたいにずっとやり続けるしかない


パンチ なんか、大きくなった感じだよね。

松谷 だって前は、自分のことだけ考えとったらエエんやもん。ヘタしたら、「(他の選手が)ケガでもせえへんかな、俺、調子いいのにな」とか思ってたわ。

パンチ 転がってるボールでも踏まねえかなとかさ(笑)。

松谷 前はそんな世界やったけど、今はそれやってもうたら、自分に跳ね返ってくるからね。本当はちょっと殴りたいようなヤツでも「お前、最高やな」みたいに奮い立たせて(笑)。

パンチ それでストレスがたまったら、どうするの? 俺の場合はサウナでリフレッシュするんだけど。

松谷 今は何もないなあ。自然に発散するようになったんちゃうかな。サウナでストレス発散できる?

パンチ できるよ。「バカヤロー!」って、3セット。毛穴からシュシュシュシュって、いろんな悪魔が出ていく(笑)。仕事で成功している社長の条件はよく食べる、声がデカい、サウナ好きだよ。さて今後の夢や目標はどう? 今、“人生の勝者”じゃない。

松谷 いや、全然勝者ちゃう。成長過程なんだけど、感じとしては“マグロ”やね。止まったら死ぬかな、みたいな。ずっと動いとかな。一つの目標をクリアしても、また次の目標が出てくるから、ずっとそれをやり続けていかなあかんよね。一番大事なのは、この会社に携わる人間が「本当に幸せやな」って思える、お金とは別のものも作っていくこと。そこが一番難しいんやけどね。

パンチ 具体的に言うと、どんなことだろう。

松谷 “居心地感”っていうのかな。自分の嫁さんとか子どもといるより、働いている時間が圧倒的に長いやろ。だけど仕事なんて楽しいわけないやん。そこにやりがいを見つけるのは社員自身だけど、俺らが福利厚生でもなんでも何かそれを促してやる。この会社はお金だけじゃなくて、こんなに社員のことを考えてくれているってなれば、社員自身がイヤになっても「あんた何言うとるの、働かんとあかんやろ」「こんな会社ないやろ」って周りが言ってくれるよね。

パンチ いや、大したもんだね。俺なんか、『パンチ企画』一人でやってるから、うれしいことがあったら銀座で服を買うし、チェって思ったら酒飲んで、「明日、明日!」って自分で自分一人を盛り上げればいいわけ。くそーって思ったら、サウナに入ってね(笑)。社長は大変だね。

松谷 いや、そうは言うけど、気はラクよ。自分一人だったら24時間しかないやん。でも人がいれば、自分の分身はいないにしても、その分違うことができる。もう自分にはサイコロが振られているから、社員の生活も守らなあかんし、自分が言ったことも全部は達成していないからなあ。

パンチ 野球のほうは?

松谷 やはり僕ら、野球に育てられたからね。野球界にも、何か社会貢献できればいいかな、と。だから今、スタッフもかなり野球観戦に行っているし、王さんが提唱したWCBF(世界少年野球財団)をはじめ、少年野球も応援させてもらっているよ。

パンチ 最後に、これから野球界を引退する人へ、ひと言お願いします。

松谷 野球は実働、長くて20年でしょう。残りの人生のほうが圧倒的に長い。残された人生は野球に固執せず、視野を広げていろんなことにトライしてみてほしい。そのほうが人間的にも成長できると思うし、選択肢が増えるから。今は40歳でも、それができるからね。そういう強い気持ちで第二の人生に臨むのが一番だと思いますよ。

パンチの取材後記


 松谷君は大阪出身で、ピッチャー、エースということもあって、ワンパクとかヤンチャなイメージの人だった。それが社長になって大きく、どっしりしたなあって、まず思いましたね。

 だけどトシを重ねて、穏やかになった、優しくなっただけでなく、まだ斬った張ったをしているような、マウンドで闘っているサムライ的な雰囲気も残っていてね。僕は同級生なのに、ちょっと負けちゃったなって思うくらいの迫力があって、カッコよかった。

 だって、僕は自分一人で精いっぱい。とても社員一人ひとりやその奥さん、子どものことまで考えて引っ張るリーダーシップはないですよ。すげえな、大したもんだなと感心しました。なんであんなに大きく物事を考えられるのかな。また別の機会にも会って、じっくり話を聞いてみたいです。

●松谷竜二郎(まつたに・りゅうじろう)
1964年7月10日生まれ、大阪府出身。大阪市立高から大阪ガスに入ると3年連続で都市対抗に出るなど社会人球界で活躍、ドラフト2位で89年巨人入団。3年目の91年に21試合に登板し、完投勝利を含む2勝を挙げた。ファームでノーヒットノーラン経験が2回ある。95年に近鉄移籍も、肩の故障もあって97年限りで退団した。通算成績は59試合、4勝4敗1セーブ、防御率5.06。現在はスチールエンジ株式会社の代表取締役社長。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=山口高明
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