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背番号物語

【背番号物語】「#41」左の好打者と右の好投手

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

左のヒットメーカー



 四柱推命では、鶏群の一鶴、を意味するという「41」。鶏の群れの中に一羽の鶴がいる、つまり、凡人の中に1人だけ優れた人物がいる、ということのようだが、これで1976年に「14」をひっくり返して「41」となって初めて打率3割を超え、それどころか6糸という僅差で首位打者に輝いたのが中日の谷沢健一だ。

 中日新聞の会長に入団時から背番号の変更を勧められていたという谷沢。成績が頭打ちとなり、気分転換を図っていた75年の契約更改で再び会長から変更を勧められるが、会長から提案があった番号は3ケタばかり。京都のお坊さんに相談したところ、冒頭の意味から「41」を勧められたという。確かに「41」の系譜を見渡すと、投打にわたって“鶴”が群れを成しているようだ。

【12球団主な歴代背番号「41」】
巨人 岩下守道矢沢正杉山茂斎藤雅樹中川皓太☆(2018〜)

阪神 鎌田実川尻哲郎伊良部秀輝上園啓史高橋聡文

中日 高木守道、谷沢健一、鳥越裕介朝倉健太浅尾拓也

オリックス 野々村寛永井進松井満高橋功一小瀬浩之

ソフトバンク 立石充男青井要倉野信次岩嵜翔千賀滉大

日本ハム 白仁天江田幸一、小牧優一、稲葉篤紀ロドリゲス☆(2018〜)

ロッテ 山根俊英山田正雄小林宏之小林宏)、小林敦成田翔

DeNA 沖山光利青木秀夫加藤将斗大原慎司櫻井周斗☆(2018〜)

西武 浦田直治渡辺久信鳥谷部健一木村文和(文紀)、相内誠

広島 高岡重樹守岡茂樹山中潔木村拓也藤井皓哉

ヤクルト 大久保英男角富士夫杉村繁、稲葉篤紀、高井雄平(雄平)☆

楽天 星野おさむ、青山浩二
(☆は現役)

多彩な右の好投手


西武・渡辺久信


 中日では、高木守道が若手時代に着けていた番号でもあった「41」。谷沢と同時期にヤクルトでは角富士夫の出世ナンバーに。その初代は1年だけ着けた大久保英男で、やはり「9」へと“昇格”して正遊撃手となった。

 その後継者となったのが稲葉篤紀だ。谷沢と同様に左のヒットメーカーで、FAで移籍した日本ハムでも1年目を除いて「41」を背負い続け、通算2000安打にも到達。左の好打者というイメージを「41」に定着させたと言えるだろう。ヤクルトで稲葉の後継者となった(高井)雄平も左のヒットメーカーだ。

 中日の「41」は谷沢から朝倉健太を経て浅尾拓也が継承。2011年にはセットアッパーとして初めてMVPに輝いて、中日の「41」に新たな印象を築いたが、他のチームでも「41」の好投手、特に右腕は少なくない。

 谷沢と入れ替わるようにセ・リーグで「41」を輝かせたのが巨人の斎藤雅樹。89年に20勝を挙げて投手2冠、沢村賞を獲得して翌90年に「11」へと“昇格”していったが、ほぼ同時期にパ・リーグで覇を唱えていた西武で一貫して「41」を背負い続けて3度の最多勝に輝いたのが“ナベQ”渡辺久信だ。

 パ・リーグの盟主の座を西武から奪った印象のソフトバンクでは岩嵜翔、千賀滉大ら好右腕がリレー。また、伊良部秀輝が阪神で、木田優夫がヤクルトで、メジャーから復帰した右腕が短期間ながら着けたナンバーでもある。

 迎えた18年の欠番はオリックスのみ。最後に「41」を着けたのは小瀬浩之で、10年春のキャンプ中に転落死。将来を嘱望された左打者だった。以降は欠番が続く。

写真=BBM
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