週刊ベースボールONLINE

背番号物語

【背番号物語】「#49」80年代に大ブレークした助っ人ナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

クロマティの圧倒的な存在感



「42」に続き、かつては車のナンバーで“欠番”だった「49」。プロ野球でも古くは欠番だったことが少なくなく、特に阪急は1974年に畑野実が「28」から“降格”して着けたのが最初で、しかも畑野は同年限りで現役引退、その後も3年ほど欠番だった。

 ほかの忌み数のように外国人選手に割り振られていた傾向はないが、「49」が大ブレークしたのは外国人選手によって。それが80年代の巨人で暴れ回ったクロマティだ。現役バリバリのメジャー・リーガーとして84年に来日。実力と人気を兼ね備え、その極端なクラウチングスタイルを当時の野球少年たちは(ほとんどの場合がふざけて)真似していたものだ。

 系譜を見渡すと外国人選手は多い。これは忌み数だからではなく、クロマティのインパクトで助っ人の印象となったと言えるだろう。

【12球団主な歴代背番号「49」】
巨人 吉田孝司杉山茂、クロマティ、柏田貴史石川慎吾

阪神 小山正明、リベラ、伊達昌司若竹竜士今成亮太

中日 坪井新三郎酒井忠晴種田仁、ネルソン、伊藤康祐☆(2018〜)

オリックス 畑野実、杉本尚文後藤光尊中山慎也澤田圭佑

ソフトバンク 皆川睦男吉永幸一郎吉田修司、オーティズ、古谷優人

日本ハム 江本孟紀入来祐作加藤武治、石川慎吾、公文克彦

ロッテ 長谷川一夫平井光親シコースキー薮田安彦チェン・グァンユウ

DeNA 大川浩金沢次男畠山準阿波野秀幸モスコーソ

西武 川藤竜之輔吉本博佐藤秀樹上本達之豊田拓矢☆(2018〜)

広島 アレン、菊地原毅ディアス、ベイル、天谷宗一郎

ヤクルト 石戸四六、ハドラー、広永益隆松田慎司渡邉大樹

楽天 吉田豊彦、インチェ、井上雄介、クルーズ、アマダー
(☆は現役)

好投手の夜明け前



 もともと巨人は若手時代の吉田孝司がいた捕手ナンバー。クロマティの後継者はメジャーから復帰した柏田貴史。その後はドーピングで解雇されたルイス・ゴンザレスから15勝を挙げて36年ぶりの3連覇に貢献したディッキー・ゴンザレスへと受け継がれた。

 ブレーク前の好投手も多い。阪神には1年目の小山正明。江本孟紀もドラフト外で東映へ入団した1年目で、南海へ移籍して初勝利を挙げたが、その南海では“最後の30勝投手”皆川睦男(のち睦雄)が若手時代に着けていた。その後継者は吉田修司。ダイエー黄金時代を支えた左のリリーバーだ。

 全体でもリリーバーは目立つ。やはりブレーク前の菊地原毅が広島にいて、ロッテの薮田安彦はメジャーから復帰して「49」を着けた。薮田の系譜をさかのぼるとい遠山昭治がいるが、ロッテへ移籍してきて内野手に転向した時代。のちに古巣の阪神で投手にも復帰した。その前任者は現役最晩年の宇野勝で、その前が91年に首位打者となった平井光親。オリオンズ最後のタイトルホルダーでもある。

 菊地原の後継者は2018年に「49」の12年目となる天谷宗一郎。フェンス際の好捕で名を上げた外野守備の名手だ。

 内野ならどこでも守れる酒井忠晴がいた中日も好打者が多い。酒井はロッテを経て中日へ復帰して再び「49」を着けたが、その間に挟まっているのが“ガニ股打法”の種田仁。酒井の前は第3の外国人として二軍でくすぶっていたブライアントで、近鉄で大ブレークする前の姿だ。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング