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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説47】達川に“見える魔球”と呼ばれた小林誠二のパームボール

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

習得には紆余曲折


パームを自在に操った小林


「あれは消える魔球じゃない。見える魔球じゃな」

 広島の名物捕手・達川光男の言葉だ。小林誠二のパームボールをさした言葉である。スライダーのように高速から鋭く変化する“消える系”ではなく、遅いが大きく変化し、タイミングが取りづらい“見える系”というわけだ。

 ただ、習得はかなり紆余曲折がある。もともとはオーバースロー。76年に広島入団も、肩を痛めたこともあって登板機会に恵まれず81年西武へ。ここでサイドスローに変え、落ちる球が欲しかったので、普通はオーバースローの変化球なのだが、パームを習得。開花の兆しを見せた。

 広島に復帰した84年がキャリアハイだ。パームも西武時代のように低めに集める意識だけでなく、左右に投げ分けることができるようになり、この年は全投球の3割、終盤には4割近く投げた。

 同年はリーグ優勝に貢献し、主に抑えながら最優秀防御率。V決定試合にはプロ初の完投勝利で胴上げ投手となった。ただ、パームの多投がヒジに負担をかけ、まず速球の威力が落ちた。それが結果的に“緩”のパームの効果を軽減させ、88年限りで引退となる。

小林誠二(こばやし・せいじ)
1958年1月22日生まれ。広島工高からドラフト4位で76年広島入団。81年西武に移籍して登板機会を増やした。広島に復帰した84年には主に抑えながら最優秀防御率に輝く。88年限りで現役引退。主なタイトルは最優秀防御率1回。通算成績222試合登板、29勝15敗20セーブ、防御率3.70。

写真=BBM
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