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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説49】最後の1本を記憶するためだけに海を渡った松永浩美

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

引退試合の代わりに……


抜群の打撃センスを誇った松永


 あの福本豊が「あいつが普通にやっていたら2000安打に到達していた」と話し、残念がるのが阪急の後輩・松永浩美だった。

 練習生からはい上がり、プロに入ってからスイッチに挑戦した苦労人で、打撃部門は無冠ながら、そのバッティングセンスは超一流だった。88年には首位打者争いをしていた高沢秀昭ロッテと終盤に直接対決。11打席連続四球で、1厘差でタイトルを逃し、91年には4毛差で、またも2位となっている。

 その後、93年に阪神移籍も、翌年にはできたばかりのFA制度で地元・福岡のダイエーに移籍。わずか1年での離脱はファンの不興を買った。

 ダイエーでは1年目こそ主力打者として活躍、打率も.314をマークしたが、その後、徐々に出番が減り、97年限りで自由契約。この後、メジャーに挑戦した。

 ただ、松永の中にメジャーへの思い、夢はなかった。

「自由契約と言われたとき、最後のヒット1本を覚えていなかった。だからそれをアメリカで作ろう。それだけ」

 引退試合の代わりに球団にメジャーへの橋渡しをお願いし、アスレチックスへ。自己負担でスプリング・トレーニングに参加したが、結果が残せず、契約はかなわなかった。

松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ。福岡県出身。小倉工高を中退し、練習生として78年阪急入団、翌79年に支配下登録。同年にはスイッチヒッターに挑戦。82年には正三塁手となってサイクル安打も達成した。85年に38盗塁で盗塁王。88年には11打席連続四球の日本記録、91年に2度目のサイクル安打も。93年に阪神、翌94年にダイエーへと移籍し、97年限りで退団。メジャーに挑戦したがかなわず、98年現役引退。主なタイトルは盗塁王1回。通算成績1816試合、1904安打、203本塁打、855打点、239盗塁、打率.293。

写真=BBM
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