今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 連載『トップスター登場』は藤田元司
今回は『1960年5月4日号』。定価は30円だ。本文巻頭は『
中日はほんとに強いのか』。開幕から6連勝の後、5連敗となった中日のチーム事情を特集している。ただ、これは大洋と裏腹の結果でもあった。開幕から中日相手にエース・
秋山登の頭部のケガもあって3連敗を喫し、そのまま6連敗となったが、その後、逆に6連勝した中日相手に今度は3タテとリベンジしたのだ。
大洋・
三原脩監督はこう言い切る。
「中日にしても
巨人、阪神、国鉄にしても、セのチームには威圧感が感じられない。だから連敗しても精神的な圧迫は感じない」
連載『トップスター登場』は肩痛に苦しむ巨人・
藤田元司が登場。中で「雅士と改名した理由は」という質問があり、知らなかったので驚いた。ただ、
「ことしのキャンプで姓名判断をしてもらったところいまの『元司』は苦労が多くてむくわれず、短命だと言われたので『雅士』という名前を考えました。しかしはっきり改名したわけではありません。サインもいままでどおり『元司』です」
とのことだった。この連載をやっていると、小ネタが次々見つかる。
また「最近泣いたこと」と聞かれ、
「キャンプへ行ってはじめてボールを投げたときでした。肩が痛くて、ほんの5メートルも投げられない。その瞬間、くやしくて涙が出てきました。なぜ投げられないんだろうと思うと、悔しくて」
悲痛だ。
大和球士の『ダッグアウト往来』で、前述の秋山の事故が触れられていた。ホームベース近くでノックしていた中日・
牧野茂のノックバットが手から離れ、大洋ベンチ前にいた秋山の頭部に直撃した話だ。
前回の『ダッグアウト往来』では、大和が大洋側の取材をし、牧野は大洋ベンチからヤジられ、カッとなったことが手を滑らせた原因のようだと関係者の言葉として書いてあったのだが、今回は中日側からの弁明となる。
このときは中日の総務の説明を紹介。ベンチからホームベース付近にいるのを野次っても聞こえないと主張し、実際にベンチからノックをしている牧野に大きな声を出し、反応がないのを見て、「どうですか、聞こえないでしょう」。
さらに、その後、「牧野は小柄で非力なんで、バットの端を握り込んでする。だからすっぽ抜けたわけですな。それから皮の手袋が汗ばむと滑るんですな」と、今度は近くにいた
江藤慎一の革手袋を脱がせ、自分が使いながら言った。
ほか巨人ベンチでは4月12日、元巨人の
馬場正平がプロレスラーになったという記事が話題になっていた、という記述もあった。
最後に小説『黒眼鏡の打者』。交通事故で視力が落ちた天才打者・江川隆志に、巨人・
川上哲治コーチが「黒眼鏡をかけろ」と指示。それで傷を隠せば、ベンチにいるだけで相手チームが警戒するから、が理由だった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM