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背番号物語

【背番号物語】「#57」投打でチームを支える“縁の下の力持ち”

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

投打の名バイプレーヤー



「56」に続いて投打ともにバイプレーヤーが多く、そのほとんどが巣立っていくナンバーだが、パ・リーグでは「57」を背負い続けた名選手が投打で異彩を放っている。

 筆頭格は16年間、「57」を背負い続けたロッテの佐藤幸彦だ。1987年に高卒新人ながら一軍デビュー、浮き沈みを繰り返しつつも、内野も外野も守って一軍にしがみつき、93年にはプロ野球記録のゲーム4犠打、悪夢の18連敗もあった98年には自己最多の104試合に出場。規定打席到達は一度もなかったが、オリオンズからマリーンズまでを川崎でも千葉でも支え続けた縁の下の力持ちだ。

 佐藤の引退と入れ替わるように、創設されたばかりの楽天で初代「57」となったのが小山伸一郎中日では芽が出なかったが、移籍した新天地でリリーバーとして頭角を現し、11年間を「57」で通した。引退後は数字をひっくり返した「75」でコーチを務めている。

【12球団主な歴代背番号「57」】
巨人 上田武司木村龍治條辺剛脇谷亮太高木京介

阪神 浅越桂一太田紘一小鶴誠(コーチ)、山岡洋之岡崎太一

中日 平野謙彦野利勝野口茂樹蔵本英智(英智)、小川龍也

オリックス 石井茂雄斎藤克男今津光男斉藤巧山田修義

ソフトバンク 広瀬叔功佐々木誠林孝哉三瀬幸司嘉弥真新也

日本ハム 宮原務本森範行飯山裕志屋宜照悟杉浦稔大

ロッテ 大沢啓二(コーチ)、佐藤幸彦、林孝哉、佐藤賢治香月一也

DeNA 新井昌則山本恒敬鶴岡一成加藤康介青柳昴樹

西武 浜本龍治上田浩明田中靖洋谷中真二國場翼

広島 大野豊森厚三、メディーナ、ミコライオ、オスカル☆

ヤクルト 亀田信夫若松勉丸山貴史松井淳古賀優大

楽天 小山伸一郎、三好匠八百板卓丸☆(2018〜)
(☆は現役)

野手転向で成功したリードオフマン


南海・広瀬叔功


 セ・リーグでも中日でスーパーサブの(蔵本)英智が長く背負い続けたが、中日の「57」は投手に与えられることが多く、左腕の野口茂樹も2年目まで着けたナンバー。投手として「57」を着け、野手として成功したのが平野謙と彦野利勝だ。

 同様のパターンで出世頭と言えるのは南海の広瀬叔功。「57」で野手に転向して正遊撃手となり、6年目の60年に「12」となると、61年から5年連続盗塁王、64年には首位打者に。その後継者となったのが佐々木誠で、「0」を経て「3」を着けて同じく盗塁王と首位打者に輝いている。

 投手ではオリックスの初代に石井茂雄がいて、64年に28勝を挙げた右腕の出世番号だ。70年代にはセ・リーグでも投打ともに名選手の出世番号となる。ヤクルトの若松勉は「57」で1年目から即戦力となり、2年目には「1」となって首位打者に。

 広島の大野豊は1年目から一軍登板も防御率135.00と炎上、2年目の78年に「57」へ変更すると、セットアッパーとして安定感を発揮するようになる。そして80年から「24」を着けて、98年まで息の長い活躍を続けた。

「56」と同様に捕手が多いナンバーでもある。捕手の層が厚いのが伝統とも言える近鉄では光山英和古久保健二が「56」「57」と並んでいたこともあり、古久保の後継者は的山哲也。いずれも不動の正捕手とは言えないが、だからこそ近鉄らしい存在でもあった。

写真=BBM
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