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追悼・星野仙一

追悼企画25/星野仙一、野球に恋した男「2003年に向け大胆なチーム改革」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

キャンプ地も変更


結果的にだが、サッカーワールドカップからすべてが狂い始めた


 2002年、球団新記録の開幕8連勝はならなかったが、3・4月は17勝8敗1分、5月は12勝10敗と走った。

 しかし6月に入って、それまでの勢いがピタリと止まった。日韓ワールドカップの開催で組まれた変則日程の中、15日から28日まで泥沼の8連敗。16日に首位を陥落すると、再び返り咲くことはなかった。

 誤算は快進撃を支えてきた投手陣の崩壊だ。月間防御率はリーグ最下位の4.89だった。星野監督は「あの変則的な日程の中で、阪神らしい戦いができなくなった」と嘆いた。

 最終的には借金4の4位。それでも、4年連続最下位の阪神にとっては9年ぶりの4位ではあった。

「その気にさせて裏切ってしまった。監督の責任やな。でも、絶対強いチームにしてみせる」

 と星野監督。確かに選手も、ファンも“その気”になった1年だった。

 迎えた03年に向け、大体なチーム改革に着手していく。春季キャンプも、それまで高知・安芸でキャンプ全日程を消化していたのを前半沖縄・宜野座とした。

「阪神監督1年目、キャンプ前日のミーティングが終わった後、自分の部屋に戻ったら、今岡、赤星、桧山の3人が『話があります』と。それで聞いてみると『こんな寒いところで春先にキャンプをしたら大変です』と言うんだ。そのときは『甘ったれたこと言うな。安芸は暑いぞ』と言った。僕は評論家のときに2回くらい取材で安芸を訪れたけど、それは中旬ころでポカポカ陽気の温かいときだったんだ。

 翌日の朝、Tシャツ姿で散歩に出ようとしたら、広報の平田(勝男)が『ダメですよ。そんな格好で出たら』と言って、アノラックを差し出して『これでも寒いくらいですよ』と。外に出たら、ホンマに寒い(笑)。アイツらの言うことも分かるな、と。でも、僕だけで決められる話ではない。球団代表や社長にも『今ごろから準備しなければ1年後には間に合いませんよ』と相談しながら進めていった話なんだよ。

 それで沖縄の宜野座に決定して、前半は沖縄で、温かくなってくる後半から安芸というキャンプ日程にした。気候もばっちりで、しっかりと練習を積めたのもよかったのかな。そういえば、03年に優勝した後に宜野座の村長にお礼を言ったとき『ありがたかったですけど、もう少しいい球場にしていただければうれしいですね。雨天練習場がないのも、キャンプ地としては……』とお願いしたら、すごいのができた。いくらなんでもお金をかけ過ぎでしょ、というのが(笑)。でも、僕はそこまでやりましたよ」(阪神80年史)

<次回へ続く>

写真=BBM
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