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背番号物語

【背番号物語】「#60」“おかわり君”に継承された長距離砲の系譜

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

西鉄時代からの栄光のナンバー



 6度の本塁打王に輝き、「60」に長距離砲のイメージを定着させたのは、現役屈指の和製大砲でもある西武の“おかわり君”中村剛也だろう。2013年にヤクルトバレンティンが49年ぶりに更新したシーズン本塁打のプロ野球記録が奇しくも60本塁打。「僕のような大きな背中に似合う番号ですよね」と笑い、迎えた18年は35歳となる中村だが、まだ背番号を超える本塁打を放って新記録を樹立する可能性は残る。

 その系譜をさかのぼると、“マルちゃん”と呼ばれた同じく長距離砲のマルティネス、巨人と大洋でも「60」を背負い続けた少数派の白幡勝弘(隆宗)もいるが、西鉄時代にまでさかのぼっていくと、“鬼軍曹”重松通雄コーチを経て、監督として黄金時代を築いた三原脩が初代にいる。

 三原は大洋でも「60」の監督として初の日本一に導いたが、1950年代中盤から60年代にかけては、「60」の指導者が多かった。

【12球団主な歴代背番号「60」】
巨人 谷口五郎、樋笠一夫川相昌弘落合博満若林晃弘☆(2018〜)

阪神 梅本正之嶋田章弘田中秀太小宮山慎二中谷将大

中日 天知俊一(監督)、宮下昌己大豊泰昭河原純一、ジー☆(2018〜)

オリックス 酒沢成治(コーチ)、中谷準志(コーチ)、上田利治(コーチ)、前田祐二赤間謙

ソフトバンク 野村克也岡本伊三美(二軍監督ほか)、門田博光中村晃釜元豪

日本ハム 多田文久三(コーチ)、藤村富美男(二軍監督ほか)、グロス、新谷博郡拓也

ロッテ 西本幸雄(二軍監督)、永野吉成橋本将成瀬善久阿部和成

DeNA 三原脩(監督)、白幡隆宗、近藤昭仁(監督)、荒井幸雄白根尚貴

西武 三原脩(監督)、重松通雄(コーチほか)、白幡勝弘、マルティネス、中村剛也☆

広島 白石勝巳(監督)、大野豊田村恵安部友裕永井敦士☆(2018〜)

ヤクルト 別所毅彦(監督)、後関昌彦城友博松元秀一郎三輪正義

楽天 藤崎紘範石川賢勧野甲輝古川侑利
(☆は現役)

長距離砲の豪華リレー


巨人・落合博満


 いぶし銀タイプの打者は少数派だが、犠打の世界記録を樹立した巨人の川相昌弘が若手時代に着けていたのが「60」。打者では広島の安部友裕やソフトバンクの中村晃ら、同じく少数派の投手では1年目だけ着けた広島の大野豊やロッテ時代に4年目まで着けた成瀬善久らも出世番号としている。ただ、「60」の系譜で目立つのは、やはり長距離砲だ。

 中村のプロ1年目に「60」でキャリアの幕を下ろしたのが中日の大豊泰昭。90年代には「6」の印象が強い落合博満が巨人へ移籍した1年目だけ着けているが、これは「6」に篠塚和典がいたためで、篠塚の現役引退で2年目からは「6」に戻している。

 80年代には本塁打数の目標にした南海の門田博光が「44」から83年に変更。60本塁打には届かなかったが、40歳となった88年には自己最多タイの44本塁打で3度目の本塁打王、自己最多の125打点で2度目の打点王に輝いて“不惑の大砲”と呼ばれた。

 門田の系譜をさかのぼると、若手時代の野村克也がいる。「19」のイメージが強く、通算657本塁打を残した野村だが、「60」の2年間で放った本塁打はゼロ。テスト生として入団して契約金もゼロ、戦力外通告を受けて必死の嘆願で残留した、まさに下積み時代の背番号だ。

写真=BBM
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