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追悼・星野仙一

追悼企画26/星野仙一、野球に恋した男「トラの悲願の達成へ血の入れ替えを断行」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

FAで金本知憲を獲得


金本の入団会見。このときの阪神の補強はいまも語り草だ


 4位となった2002年を終えると、次なる目標はもう頂点しかなかった。

 このとき星野監督は、いわゆる“血の入れ替え”を断行。24人もの選手たちが引退、自由契約、トレードでタテジマのユニフォームを脱いだ。

 解雇を告げられたのは伊藤敦規葛西稔弓長起浩(初出から修正)らベテラン投手陣が中心。さらに「今岡(誠)、井川(慶)以外は全員がトレード要員だから覚悟しておくように」と宣言した言葉どおり、坪井智哉山田勝彦と主力を交換要員に日本ハムから下柳剛野口寿浩を獲得。レンジャーズからは伊良部秀輝も加入した。

 補強最大の目玉が広島でFAを行使した金本知憲の獲得だった。そこには以下のような裏話があった。再び『阪神80年史』のインタビューを引用する。

「球団の補強にはドラフト、トレード、そしてFA。この3つがある。これはまだ、02年のシーズン中の話だけど、当時、中村(紀洋)、ペタジーニがフリーになるのは分かっていたけど、金本はものすごく気持ちがグラついていた。それで球団の会議で僕は議長だったんだけど、『ウチにいま一番必要なのは誰だ!』と聞くと、打撃チーフコーチだった田淵(幸一)が『金本だ』と即座に反応して。『どうしてだい?』と尋ねると『いま広島でくすぶっている。環境を変えてやることも必要じゃないか』と。

 僕も阪神に必要なのは元気で丈夫な選手だと思っていたから、まさに金本はうってつけ。ただ、(山本)浩二が監督を務めているチームの選手だったから、『でも、待てよ。金本は浩二のところの四番じゃないか。われわれの仲間だぞ。そこから引っこ抜くのか』と言ったら、田淵は『何を言っているのか。監督はタイガースを変えると言っていたでしょ。チーム作りに情をかけてはいけない。金本がFA宣言すれば移籍は自由。あとは監督の腕次第だよ』と」

 星野と山本。大学時代からのライバルであり、盟友の人生が再び交錯する──。 

「まだシーズン中だったんだけど、広島遠征のときにちょうど浩二がメシを食おうと誘ってきて。田淵と彼の家に行って、まずは思い出話などをしていたんだけど、田淵が『はよ、言え』と腕をつついてくる。浩二がトイレに行ったときに、『お前なあ、そんなに焦るなよ。急ぐと失敗するぞ』と田淵をいさめたりしたんだけど、きりのいいところで『ところで金本はFAだよな』と切り出した。浩二は『でも彼は出んぞ。出るわけない。広島生まれ広島育ちだから』と言うから、『出てもいいというような話を風の便りで聞くけどなあ』と答えると、浩二はそれでも『出るわけがないし、ウチが出さないよ』。

 そのときに僕はズバッと『だけど俺ははっきりと言っておく。お前は俺たちの仲間だから、突然のことじゃいかん。もし、万一、金本が手を挙げたらタイガースはいくぞ』ということを彼に宣言した。そしたら、僕が感じただけかもしれないけど浩二は『ウッ』と驚いたような顔をした。すぐに平静になって『しようがないよな。FAだからな』と浩二が返事して、話はそこで終わった。

 でも、本当に金本の影響は大きかった。金本のすごさは数字だけじゃない。野球に対する姿勢が素晴らしい。監督、コーチでは教えられないものを彼がチームに注入してくれた。あれからタイガースは変わった」

<次回へ続く>

写真=BBM
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