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背番号物語

【背番号物語】「#61」昭和の名コーチから平成の出世ナンバーへ

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

古くはコーチの背番号



 60番台の背番号は2リーグ制となってしばらくは指導者のナンバーで、監督が多かった「60」に続くナンバーの「61」は二軍監督や参謀格のコーチが着ける傾向があり、それは「60」の選手が増えた80年代まで残っていた。

 代表格は阪急の天保義夫コーチだ。監督として指揮を執ることはなく、人情派の熱血コーチとして一軍でも二軍でも後進を指導し、二軍で苦労した選手が一軍で活躍すると、涙ながらに祝福することもあったという。

 現役時代はナックルを武器に“忍者投手”と呼ばれた右腕で、1リーグ時代にはノーヒットノーランも達成。選手晩年からコーチを兼ね、コーチ専任となって2年目の1959年から阪急の歴史も終盤となった86年まで背負い続けた。阪急とともに歩んだレジェンドの28年は「61」の系譜では圧倒的に長い。

【12球団主な歴代背番号「61」】
巨人 新田恭一(コーチほか)、河埜和正吉岡雄二、坂本勇人、中井大介

阪神 藤本定義(監督)、横谷総一山田勝彦田上健一望月惇志

中日 太田敏行近藤貞雄(監督ほか)、北野勝則久本祐一若松駿太

オリックス 天保義夫(コーチ)、清原雄一牧野塁栗山聡伊藤光

ソフトバンク 村上一治(コーチ)、合田栄蔵(コーチ)、木村保(コーチ)、柳田聖人黒瀬健太

日本ハム 土橋正幸(コーチ)、野中信吾押本健彦杉谷拳士姫野優也

ロッテ 藤井勇(コーチ)、中居勤蔵、寺本四郎角中勝也三家和真

DeNA 鈴木隆(コーチほか)、魚満芳、白井正勝武山真吾中川大志☆(2018〜)

西武 島原輝夫(コーチ)、秋本宏作、石井一久田代将太郎平良海馬☆(2018〜)

広島 門前真佐人(二軍監督ほか)、柴田猛(兼任コーチほか)、浅井樹磯村嘉孝坂倉将吾

ヤクルト 小鶴誠(コーチ)、小川善治(コーチ)、河野亮石井弘寿正田樹

楽天 川口憲史(憲史)、岡本真或川島亮上園啓史鶴田圭祐
(☆は現役)

15年間、背負い続けた155キロ左腕


ヤクルト・石井弘寿


 活躍する選手が多くなってきたのは時代が平成になってから。昭和では、ゴルフスイングを打撃に応用した新田理論で知られる新田恭一コーチの後継者となった巨人の河埜和正が出世番号としたのが数少ないケース。

 その後の巨人では、駒田徳広に続く“満塁男”として注目され、のちに近鉄の中軸となった吉岡雄二を経て、坂本勇人が継承。2年目に開幕スタメン、そのまま全試合に出場して、「6」で長く活躍を続ける。一方のパ・リーグでは、ロッテの角中勝也が6年目の2012年に独立リーグ出身者としては初となる首位打者に輝いて一気にブレーク。16年に2度目の首位打者となり、「3」へと巣立っていった。

 好投手の筆頭格はヤクルトの石井弘寿だろう。セットアッパーとしてリーグ最多の69試合に投げまくって最優秀中継ぎ投手となった02年に日本人の左腕としては最速となる155キロをマーク、05年にはクローザーも務めた剛腕だ。06年WBC東京ラウンドでの故障により、07年からは引退試合の1試合のみの登板に終わったが、現役の15年間を一貫して「61」で過ごした貴重な存在でもある。

 同様に、15年に10勝を挙げてブレークしても「61」を背負い続けているのが中日の若松駿太。その後は精彩を欠くが、「61」に好投手の印象を定着させる可能性とともに、強竜の復活という重責をも担う右腕だ。

写真=BBM

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