週刊ベースボールONLINE

週刊ベースボール60周年記念企画

【週ベ60周年記念企画133】『特集 1960年日本シリーズ決戦号』【1960年10月26日号】

 

今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

本文巻頭『三原脩は日本シリーズでも勝てるか』


表紙は大洋・三原脩


 今回は『1960年10月26日号』。定価は30円だ。巻頭グラビアは大洋のリーグ優勝シーン。宿舎の和室で、日本では前年59年の南海から始まったといわれるビールかけをしていたが、さすがに怒られたのでは。畳ですから。センターグラビアでは日本シリーズに向け、両軍の写真名鑑も掲載されていた。

 本文巻頭は『三原脩は日本シリーズでも勝てるか』。本誌記者が大洋・三原脩監督のホテルの部屋を訪ね、インタビューを行っていた。優勝の翌日だったが、部屋にあった新聞には、大洋優勝の記事とともに巨人水原茂監督がV逸のイライラもあってカメラマンに暴行した事件も載っていた。

 三原は「ふうむ。水原君もよほど頭にきたとみえるな」とつぶやいた後、

「だが、私はいま水原君に感謝してますよ。私がこれだけ寝食を忘れて野球に打ち込んでこれたのも(昭和)24年暮れの事件があったからですよ」と言った。1949年、三原は巨人監督として優勝に導きながらも、シベリア抑留から帰国した水原に追われた形で、巨人監督の座を去った。

「私は野球にあきとったですよ。巨人を優勝させて、いちおう目標を達成し、私は水原君が帰ってこなくても、遠からず自分から身を引いておったですよ。それがあの24年暮れの事件で、猛然たる闘志がわき起こってきたんです。それから私は徹底的に野球を研究した。そしてここまで歩いてこれたんですから、やはり水原君のおかげだと思わなくちゃいかんですよ」

 達成感が色濃く伝わり、三原監督が持っていたギラギラしたものが薄れているようにも思った。あとづけで申し訳ないが、この年の優勝が三原監督最後となったのも、必然だったのかもしれない。

 さらに来る大毎との日本シリーズについては「あくまで小細工を縦横に使います。足の活用、盗塁、バント、ヒット・エンド・ランです。これで大毎を引っかき回してやりますよ」と語っていた。

 対談は大洋オーナー・中部謙吉、大毎オーナー・永田雅一が出席し、『日本シリーズの“紳士協約”とは』。2人ともよくしゃべる、しゃべる。普段から仲のよい2人は、当時の球界ではなかったことだが、第1戦の前にオーナー同士で握手をしようという約束をしていた。言い出したのは、永田だ。

中部 ただ先生(永田)は、ぼくより若いし、男ぶりがいいし、こっちは損やないかと言ったんだ。そしたら球場はすり鉢みたいになっとって、お客さんはみんな上のほうから見るんだ、上から見ると、お前のほうはふさふさしとって、俺はハゲとるから俺が損じゃというんだ。そうすると低いところの観客にはこっちが損して、上のほうから見てる観客にはそっちが損だ、五分五分じゃということになったんだ(笑)。
 
 面白いおっさんたちである。

 以下は宣伝です。しばらく、まったく同じ文を掲載します。

 現在、週刊ベースボール60周年企画として「週べでつづる12球団史」を制作中。第1弾は3月14日発売予定の巨人編です。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング