背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 もっとも登場が遅い2ケタ(?)の背番号
デジタル時計をお持ちの方なら、テレビやラジオで時報が鳴った瞬間、その時計に目を移していただきたい。正確な時間を刻む時計であれば、分を表示する部分には「00」と並んでいるはずだ。
「0」については、数字の歴史を振り返り、哲学して、といったアナログ的な検証も可能だった。それが2つ並ぶ「00」をアナログで考証すると、かなりシュールな様相を呈すだろう。
人類の歴史では、デジタルの登場は昨日のことのような最近だ。背番号の歴史でも「00」の登場は2ケタの数字ではもっとも遅い(「00」を2ケタの数字と言っていいのか分からないが……)。異色というより“異質”な数字である「00」の、背番号の世界ならではの物語を追いかけてみよう。
【12球団主な歴代背番号「00」】
巨人 屋鋪要、
後藤孝志、
大西崇之、
川中基嗣、
寺内崇幸☆
阪神
ジョーンズ、亀山努、
田中秀太(秀太)、
柴田講平、
上本博紀☆
中日 若林隆信、
山口幸司、
柳沢裕一、
前田章宏、エルナンデス
オリックス マルチネス、
村上眞一、
広永益隆、
山崎浩司、
西浦颯大☆(2018〜)
ソフトバンク 山口裕二、ホールトン、
吉川輝昭、
江尻慎太郎、
川瀬晃☆
日本ハム 二村忠美、
秋村謙宏、
ミラバル ロッテ 大順将弘、
諸積兼司、
小坂誠、メイ、
高濱卓也 DeNA 川崎義文、
河野友軌、
森笠繁、
藤井秀悟、
宮本秀明☆(2018〜)
西武 マクレーン、
林崎遼、
水口大地 広島 アレン、
笘篠賢治、
嶋重宣、山崎浩司、
中東直己 ヤクルト 城友博、
柳田聖人、
佐藤真一、
城石憲之、
川島慶三 楽天 森谷昭仁、
中村真人、
星野智樹、
阿部俊人 (☆は現役)
猛虎が更新する「00」にまつわる物語
阪神・上本博紀
1988年の阪神は騒然となっていた。日本一イヤーから2年連続で三冠王に輝いたバースが長男の看病をめぐる問題で解雇になる緊急事態に、その穴を埋めるべく補強されたのが外野手のジョーンズ。「00」が初めて登場した瞬間だ。ただ、ジョーンズはオフに解雇。これに追随するチームはなく、早くも「00」は球界から消えた。
だが、90年代に入ってダイエーで復活すると、92年に発祥の阪神で2代目となった亀山努の活躍によってブレーク。翌93年には巨人で屋鋪要が着けるなど普及した。その後も前途有望な若手や韋駄天タイプのベテランが多いナンバーだ。
93年は変わった方向にも加熱したシーズンで、やはり阪神に「02」の
松永浩美が登場。大洋を経て古巣の日本ハムへ復帰した二村忠美は「ジェームス・ボンドのように」と「007」を要求、支配下という立場を捨てれば現在では不可能ではなさそうだが、当時は却下されて「00」の初代となった。その日本ハムでは2005年を最後に、「0」と同様に欠番だ。
迎えた18年、西武で水口大地が「00」から「0」へと“昇格”して「00」が欠番となったが、またしても阪神では、
大和がFAで去って「0」が欠番となり、「00」に上本博紀がいる状態に。「0」の選手がいないチームに「00」の選手がいるのは異例で、ほとんどの場合で“「0」あっての「00」”となっていて、他の背番号と相関的な関係があるのは「00」ならではの大きな特徴と言える。
一般的には「0」に続く数字は「1」だが、背番号の物語においてだけは、「0」に続く数字は「00」なのかもしれない。
写真=BBM