明徳義塾・市川悠太[投手/3年]
県外から越境入学する部員が多いなか、市川悠太の出身は高知市。明徳義塾に進学した理由は「明徳は県外、県外と言われるが高知県民がエースになったら文句はないだろうと思った」からだ。
昨夏は甲子園で2試合に登板、その経験を活かして大会後は変化球の精度を高め、「スライダーは握りを変えてスピードを上げ、三振が取れるようにした」という。
そして、背番号1を与えられた新チーム結成時には「大会は全部一人で投げ切る」と誓った市川。その決意は現実のものとなり、昨秋は公式戦10試合をすべて完投。もともと疲れがたまりにくいタイプだが、明治神宮大会の決勝では右足内転筋にテーピングを施し、前日に右手中指のツメが割れるアクシデントに見舞われながらもマウンドを譲ることなくチームを優勝に導いた。
それでも「神宮大会は通過点。センバツも一人で投げ抜いて日本一になりたい」と歩みを止めない鉄腕は地元・高知に歓喜と優勝旗をもたらすため、る春の甲子園でもオール完投を狙っている。
写真=BBM