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プロ野球世代別ベストナイン

【世代別ベストナイン】「1923年」甲子園優勝監督もいる“真田世代”

 

プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。

タイトルホルダーは1人のみ



 1923年9月1日に関東大震災が発生。死者・行方不明者は10万5000人を超え、第一次世界大戦後の不況にあえいでいた日本経済をさらに停滞させ、のちの昭和恐慌につながった。

 そんな23年生まれには、のちの東京オリンピックで戦後から復興を遂げた日本を世界へ発信したいという思いを込めて『東京五輪音頭』を歌った三波春夫もいる。同世代のプロ野球選手たちも、そんな暗い時代に生まれ、焦土と化した日本に希望を与えた戦後のプロ野球を支えた男たちだ。

【1923年生まれのベストナイン】(1923年4月2日〜24年4月1日生まれ)
投手 真田重蔵(松竹ほか)

捕手 徳網茂(阪神)

一塁手 小林章良(大洋ほか)

二塁手 中村栄(国鉄ほか)

三塁手 三村勲(松竹ほか)

遊撃手 平井三郎巨人ほか)

外野手 堀井数男(南海)
    後藤次男(阪神)
    甲斐友治(近鉄)

指名打者 サル・レッカ(高橋)

 全体では、やはり西日本の選手たちが優勢で、タイトル獲得者が極端に少ないのが、この世代の特徴となっている。

 唯一のタイトルホルダーが投手の真田重蔵(重男)だ。戦死した沢村栄治(巨人)のように、左足を高々と上げる豪快なフォームから、快速球と“懸河のドロップ”と呼ばれた大きなタテのカーブを投げ込んだ右腕で、甲子園の古豪でもある海草中(和歌山)の出身。2年の夏に三塁手として全国制覇を成し遂げて“日本一のサード”とも評されたが、3年から投手となって連覇を達成した。

 3連覇を狙った41年夏は時局の悪化で大会が中止に。43年に朝日でプロのキャリアをスタートさせ、2リーグ分立の50年に現在もセ・リーグ記録として残る39勝を挙げて優勝の立役者となった。1リーグ時代と2リーグ時代で1回ずつノーヒットノーラン。最初の快挙は史上唯一の1失策のみでの達成だった。

 三本柱は真田と、50年に25勝を挙げた高野(諏訪)裕良(大洋ほか)、3年連続を含む4度の2ケタ勝利を挙げた中原宏(南海ほか)で、すべて右腕。打線が迫力に欠けるため、投手陣の好投が勝利のカギとなりそうだ。

甲子園の名将世代


池田高・蔦文也


 捕手の徳網茂は2リーグ分立で戦力が激減した阪神をプロ1年目から支えた司令塔。一塁の小林章良も捕手出身だが、戦後は主に一塁を守った巧打者だ。二塁の中村栄は遊撃手だが、選手晩年は二塁が中心だった。

 4チームで三塁を守った三村勲(勇夫)も遊撃を守った経験があるが、不動の遊撃手は堅守を誇る平井三郎(正明)。巨人で4度の日本一に貢献し、別所毅彦とのノーサインでのピックオフプレーは絶品と言われた。

 外野の堀井数男は南海ひと筋の中距離打者で、53年のベストナインにも。後藤次男も阪神ひと筋、投手と遊撃を除く全ポジションをこなしてチームを支えた巧打者。51年にリーグ最多安打を放ったが、当時はタイトルではなかった。

 甲斐友治は低迷する近鉄を支えたハワイ出身の日系2世。指名打者のレッカは高橋の中心打者だったが、来日1年目は23本塁打の一方でリーグ最多の117三振と安定感に欠けるのが弱点だった。

 ちなみに、のちに池田高(徳島)の監督として甲子園に旋風を巻き起こした蔦文也(東急)も同世代。真田も明星高(大阪)の監督として全国制覇に導き、甲子園優勝投手が優勝監督となった第1号になっている。

写真=BBM
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