プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 攻守走にハイレベルな打線
タイトルホルダーが稀少だった1923年と打って変わって、投打ともに獲得タイトルが多彩なのが24年生まれの世代だ。打線は2リーグ制となって黄金時代を謳歌した巨人と南海を中心に充実し、投手陣も最多勝やノーヒットノーランの経験者で三本柱が成立する盤石の布陣となっている。
【1924年生まれのベストナイン】(1924年4月2日〜25年4月1日生まれ)
投手
大友工(巨人)
捕手
藤原鉄之助(巨人ほか)
一塁手
飯田徳治(南海ほか)
二塁手
荒川昇治(松竹ほか)
三塁手
磯田憲一(
広島)
遊撃手
木塚忠助(南海ほか)
外野手 青田昇(巨人ほか)
黒田一博(南海ほか)
土屋五郎(国鉄ほか)
指名打者
ラリー・ドビー(
中日)
遊撃手として内野の要となり、リードオフマンとして打線を引っ張りそうなのが木塚忠助。“バカ肩”と呼ばれた強肩を誇り、「名人木塚の後に木塚なし」と称賛された史上屈指の名遊撃手で、当時のプロ野球記録となる50年のシーズン78盗塁など4年連続で盗塁王に輝いた韋駄天だ。
その木塚と“百万ドルの内野陣”を形成した一塁手が飯田徳治。「ケガや病気で試合に出られないのは野球選手の恥です」と語り、当時の連続試合出場記録も持っていた鉄人で、2年連続打点王、国鉄へ移籍して盗塁王にも輝くなど、攻守走にわたって一流だった名選手だ。
主砲を担うのは本塁打王5度の“じゃじゃ馬”青田昇。現在もプロ野球記録の4打席連続本塁打を初めてマークした強打者で、気性の激しさも超一流だ。藤原鉄之助も闘志を前面に押し出した捕手で、アマチュア時代はラフプレーも辞さず“門鉄(門司鉄道局)の赤鬼”と呼ばれた木塚から始まる打線は、荒っぽさも抜群。“仏のトクさん”と呼ばれた謹厳な飯田の存在が重要になりそうだ。
個性豊かな4人の好投手

巨人・大友工
二塁手は2リーグ分立の50年にセ・リーグ初代王者となった松竹で正捕手を務めた荒川昇治で、太陽でプロ入りした47年は正二塁手だった。三塁手は広島の結成に参加した“バントの職人”磯田憲一。内野も外野も守れる野球巧者でもある。
外野の土屋五郎(伍郎、雅敬)は国鉄のリードオフマンで、51年の盗塁王。木塚と一、二番で盗塁王を並べてもいいし、磯田を二番に置いて進塁を重視する作戦もいい。木塚、土屋、飯田と三番まで盗塁王が並ぶ“スーパーカートリオ”作戦もおもしろいだろう。外野守備の要は抜群の強肩で南海黄金時代を支えた黒田一博。
黒田博樹(広島)の父としても知られる。
指名打者のドビーは日本でこそ通算10本塁打に終わったが、メジャーでは通算253本塁打を残した強打者だった。
投手陣は、勝率、防御率で抜群の安定感を誇り、最多勝とノーヒットノーランが1度ずつの大友工(工司)がエース。ノーヒットノーラン1度、戦争中に工場で右手中指の先端などを失いながらナックルボーラーとして世代で最多の通算131勝を残した
天保義夫が続き、52年に23勝で最多勝に輝いた
野口正明(西鉄ほか)との三本柱は強力だ。
当時はタイトルではなかったが、51年にリーグ最多の150三振を奪い、2ケタ勝利5度の
阿部八郎(阪急ほか)もいて、貴重な速球派の左腕として存在感を発揮している。
個性豊かな投手陣に、破壊力と機動力に小技も加えた打線、安定感あふれる守備と、高いレベルでバランスのいいラインアップだ。
写真=BBM