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センバツ現場発

センバツ現場発/乙訓高・染田部長が口にした「幸せ者です」

 

第90回記念選抜高校野球大会が3月23日、阪神甲子園球場で開幕した。球児による13日間(準々決勝翌日の休養日1日を含む)の熱戦が繰り広げられるが、現場でしか分からない「センバツリポート」をお届けしていく。

市川監督との二人三脚


乙訓高・染田部長(元横浜)は春夏通じて初出場のセンバツ初勝利(対おかやま山陽)に試合後は「幸せ者です」と正直な思いを語った


 プロ野球・横浜(現DeNA)では在籍4年間で一軍登板2試合、未勝利のまま現役を終えている。乙訓高・染田賢作部長(35歳)にとって、セカンドキャリアで達成した「1勝」は格別だった。同校は春夏を通じて初の甲子園出場。おかやま山陽高との2回戦で7対2と逆転勝ちし、染田部長は一塁ベンチ前で、勝利の校歌に浸った。

 試合後の開口一番は「幸せ者です」。気持ちがこもっていた。

 郡山高(奈良)、同大を経て2005年、ドラフト自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団。打撃投手を2年間務めた後に退団し、教職の道を目指した。同志社大の大学院に通いながら教員免許を取得。非常勤講師として1年、母校の教壇に立ち、15年、京都府の保健体育科教諭として採用され、初任が乙訓高だった。

 同時に赴任したのが、同級生の市川靖久監督。「私は3年目。一方、市川監督は指導者として比べものにならないほどの実績もありますし日々、勉強させてもらっています。今回のセンバツは、市川監督の指導が甲子園に結びついた」。公立校ながら部員80人の大所帯で、野球部が学校全体を活気づけている。甲子園に限らず、全国的に私学優勢の時代となっているが、自身も公立進学校出身とあって「意識はない。初出場ですし、恐れるもの、失うものはない」と、チャレンジャー精神を貫く。

 染田部長は投手指導に軸足を置くのではなく、市川監督のサポート役に徹する。一方、市川監督も染田部長の上に立つのではなく「僕も染田も野球の感覚がすべてだとは思っていない。情報を共有しています」と、二人三脚で生徒に接してきた。コンビを組んで3年目の昨秋、近畿大会4強進出により、染田部長は指導者として甲子園に立つこととなったわけだ。

 染田部長は郡山高では、三塁手として3年夏の甲子園に出場。1回戦で中京大中京高(愛知)に0対12と大敗を喫した(染田部長は3番手で救援登板)。乙訓高にとってセンバツ初戦となったおかやま山陽高との2回戦は、初回に2点を先制され、初陣として厳しい入りだった。しかし、想像をはるかに超える頼もしい生徒たちだった。

「自分たちはそのままズルズルいきましたが、選手たちは底力と言いますか、ホンマによくやった」

 小刻みに得点を重ね、逆転勝利。本調子ではなかった先発の左腕・富山太樹は4回で降板したが、5回から救援した右腕・川畑大地が好投し、チームに流れを呼び込んだ。染田部長はプロを経験したからこそ、球児に言うのはキャッチボールの重要性だという。

「上のレベルにいく人ほど、大切にするんです。ピッチングで制球力を上げようとしても、良くはならない。キャッチボールだと、アバウトでもOKというような風潮があるじゃないですか……。でも、シュート回転など、構えから外れたときには厳しく指摘し合う。(横浜で)先輩だった三浦大輔さんは、当時は1球1球を丁寧に、回転も意識していました」

 今回の1勝は満員で埋まった一塁側アルプス席、また、日ごろから応援してくれるすべての人への恩返しとなったわけだが、個人的にも感じるものはあった。

「大学院に行っているときには、ろくに働きもしなかった……。家族には迷惑をかけており、高校野球の指導が始まってからも、一緒に過ごす時間がないんです(苦笑)。でも、今日の応援を見てくれたら、喜んでくれたのではないかと思います」

 高校球児が「好きなプロ野球選手」を答えるように、染田部長にも「好きな先生」がいる。テレビの学園ドラマシリーズで刺激を受けた「坂本金八先生」だ。全シリーズからスペシャル版まで一通り見たという筋金入りのファン。

「生徒思い。漢字を使って指導したり、知的なところが尊敬します」

 現役時代は気迫を前面に出した右腕だったが、セカンドキャリアでは熱血漢で生徒と真正面から向き合っていく。3回戦に進出した乙訓高の次戦の相手は日大三高と三重高の勝者。地元近畿勢の大声援をバックに、無欲の姿勢がむしろ不気味だ。

文=岡本朋祐 写真=毛受亮介
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