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伊原春樹コラム

【記憶に残る助っ人01】真面目に練習に取り組み花開いたバークレオ/伊原春樹コラム

 

2008年に思わぬ再会



 今年も数多くの外国人選手がやってきた。毎年そうだが、プロ野球で優勝を勝ち取るために彼らの活躍は必要不可欠だ。個性的な選手も多いのも外国人選手の特徴だろう。ファンの人気を博した選手も多い。

 私も選手として、コーチとして、監督として、外国人選手と接してきた。そのなかで最も印象に残っているのはバークレオだ。1987年、シーズン途中に西武へ入団してきた左の大砲。だが、当時の一軍外国人枠は2。すでに一軍にはブコビッチ、郭泰源がいたから、バークレオは第三の外国人扱いだ。メジャー。リーグ(MLB)で実績もなく、24歳と若かったから、球団は育成目的で獲ってきた。

 至れり尽くせりの一軍とは違い、二軍で過ごしていたバークレオに通訳はつかない。若手選手に交じって、猛練習を繰り返した。覚えているのは球宴休みのときの練習だ。当時、私は一軍守備走塁コーチだったが、二軍選手と一緒に練習したのか、暑い中、50メートル、100メートル走を課した。タイムもきっちりと計って、規定の時間に達しなければ本数はかさむ。そんな中でも、バークレオは1本、1本、きっちりと真面目に取り組んでいた。

「何とか頑張ってほしい」

 心の中で応援していたが翌88年、ブコビッチが退団したことでバークレオに出番が回ってきた。当初は代打や、「五番・DH」で試合に出ても、左投手だとスタメンを外れるなどしていたが、少ないチャンスの中、結果を残すと堂々のレギュラー選手となっていった。この年、118試合に出場して、打率.268、38本塁打。90打点。リーグ4連覇に見事に貢献してくれた。

 もう一つ、印象に残っているのは中日との日本シリーズ。ナゴヤ球場で第1戦が行われたのだが、試合前のシートノックからライトを守っていたバークレオはガチガチ。ベンチに引き揚げてきたら顔は青かったので、「バーク、大丈夫か?」と言ったら、「キンチョウしている……」と。初めての大舞台は刺激が強かったようだ。

 翌年から相手に研究されたこともあって成績が下がり、91年に広島へ。しかし、広島でも結果が残せず、同年限りで日本を去った。MLBで現役を続けた後、指導者になったようだが思わぬ形で再会した。

 2008年のことだ。巨人のヘッドコーチを務めていた私はオープン戦を終え、ロッカーにいた。すると、懐かしい声がした。

「イハラさん、いますか?」

「おお、バーク!」

 バークレオだった。当時、MLBのオークランド・アスレチックスでバークレオは打撃コーチを務めていて、ボストン・レッドソックスと開幕戦を東京ドームで行うため来日していたのだ。「出世したな」なんて言いながら旧交を温めたが、変わらずにいい男で非常にうれしかったことを覚えている。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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