今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 「連敗の泥沼にあえぐ泥ガメ」
今回は『1961年5月15日号』。定価は30円だ。
前年日本一の大洋が勝てない。開幕4連勝はしたが、その後、引き分け2つをはさむ11連敗。選手もスパイクを新品に替えたりとゲン直しをしていたが、応援団長・池杉昭二郎が持ち込んだ一匹のカメも話題となった。岩ガメで甲羅には「○」印、腹には池杉団長の自筆で「有威不猛」とある。論語にある「威厳はあるが、荒々しくない」という意味だ。
これをベンチに持ち込み、「縁起のいいカメで、一つツキを呼び戻してください」と
三原脩監督に。さっそく選手の手から手に渡ったが、試合は黒星。翌日のこのカメの写真を使った新聞の説明文がつらい。
「連敗の泥沼にあえぐ泥ガメ」
大井廣介の連載『好球悪球』では「柳川事件は原因ではない」とある。これは同年起こったプロとアマの完全断裂を招いた事件のことだ。従来は協約で禁止されていた社会人野球のシーズン中に
中日が日本生命の
柳川福三外野手と契約し、大混乱となった事件だ。
それまで社会人は、プロとシーズン中の選手引き抜きを見合わせる協定を結んできた。ただ、社会人側の規制は徐々に強まり(プロ側の横暴が強まった、とも言える)、60年には、プロを退団した選手は、これまで認められてきた翌年の都市対抗からではなく、秋の産業対抗大会終了後(退団1年後)でなければ社会人チームに登録できない、その人数は1チームにつき3人までに限定するとした。これは一軍公式戦に出場していない選手も同様だった。
これにプロ側が反発。引退選手の第2の人生のためにも3人枠の緩和、退団者が翌年夏の都市対抗野球終了後から登録可能となるよう要求したが、社会人側が拒否し、協定はご破算になった。
柳川と中日が契約したのは、61年4月20日。プロ側の理屈からは事実上、協定がなかった時期だ。もちろん、社会人側は激怒し、プロとの関係断絶を発表する事態となった。
大井は「社会人野球はアマチュア・スポーツ、アマチュア野球と呼べるだろうか。私は否定的である」と、この柳川事件より、社会人野球の体質に問題があるとし、「中日の先制攻撃のタイミングの良さに惚れ惚れしている」と語っている。
いずれにせよ、互いの意地が事態を深刻化させた。割りを食ったのは、選手だったと言えるだろう。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM