勝利者インタビューでの木田。若い
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は4月8日だ。
現在は
日本ハムGM補佐で活躍中の
木田優夫氏。若手だった
巨人時代は150キロ超の快速球を武器に活躍した右腕だ。1990年は木田のプロ4年目、結果的にはキャリアハイとなる12勝を挙げたシーズンである。
同年、巨人の開幕カードは
ヤクルト戦(東京ドーム)。4月7日の開幕戦は、リードされていた巨人が
篠塚利夫(現・和典)の疑惑の同点2ランで追いつき、延長14回押し出しサヨナラ勝ちと劇的な展開だったが、翌8日も負けていない。
原辰徳がワキ腹痛で戦線離脱となった打線が振るわず、巨人は常にヤクルトに先行を許す苦しい展開になった試合だが、ここで8回からマウンドに立ったのが木田が圧巻だった。快速球で4連続を含め7奪三振をマーク。ただ、肝心の打線が不振。ならばと12回裏、打席に立った木田は、自らサヨナラ本塁打で試合を決めた。
「打てるわけないと思っていたから目いっぱい振ることだけを心掛けました。信じられないです」(木田)
投手のサヨナラ本塁打はプロ野球史上17本目で、セ・リーグでは8本目。巨人では68年の
堀内恒夫以来22年ぶりである。木田にとっては、通算12打席目での初安打だった。
写真=BBM