今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 『後藤修、南海入団のきっかけ』
今回は『1961年5月29日号』。定価は30円だ。連載『12球団週間報告』からネタを紹介する。
まずは、南海だ。
松竹ロビンスから松竹が大洋にほぼ吸収合併の形で結成された洋松、さらに東映、大映、巨人、近鉄と移籍を繰り返した
後藤修。左腕の強みもあってだが、ほぼすべてクビになってからテストを受けての入団とハングリーな男だった。この61年は南海に拾われ、契約。その大きなきっかけとなったのが、まだテスト生として中モズのキャンプに参加していた時期の「遅刻」だったという。
南海・
鶴岡一人監督は、それまで非常に熱心に後藤が練習に取り組んでいただけに不思議に思ったが、あとで、風邪を引き、病院で注射を打ってから来たからと分かった。その頑張りと、言い訳しなかった姿勢に親分は感心したらしい。その後、正式入団が決定。後藤はこの年、自己最多の36試合に投げ、5勝6敗。後藤はその後、西鉄にも移籍し、通算では169試合登板、18勝31敗の数字が残っている。引退後はゴルフの指導者として有名だ。
広島は「神技を呼ぶグローブ」としてフィーバーこと
平山智が登場。アメリカ出身の日系人だ。外野手で幾度となく超美技を見せたが、その秘密がツギハギだらけのボロボロのグラブ。実は、広島の選手たちは平山が帰国する際に頼み込み、多くの新品グラブを買ってきてもらったのだが、平山自身は、まったく新品に興味を示さなかった。
平山に売り込みをしていた出入りの運動具屋も、「平山さんにグローブを買ってもらうのはあきらめました。あんな神技ができるのも、平山さんが手馴れているからだ。新しいのに取り替えたらバチが当たる」と感心していた。当時は「使ってもらう」のではなく、「買ってもらう」だったようだ。
前々回のダウンスイング話があったが、『
長嶋茂雄の打撃の内幕』という記事では、巨人の長嶋が新フォームになじめず、苦しんでいるという記事だった。そこで長嶋が理想の打球について語っていた言葉が興味深かったので抜粋しよう。
「野手の真正面に飛んでも野手が弾いてしまうような打球を打ちたい。そう思わんですか。野手の間に飛んだからヒットになったというんでないヤツをね。それには大リーガーと同じようなスイングをする以外ないでしょう」
さすがだ。
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では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM