長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 ペナント過密日程の影響で……
ホトケのゴローこと、阪神・遠井吾郎は、1964年の優勝時には四番に座ることも多く、規定打席には到達していないが、打率も.282をマークしていた。それが日本シリーズでは打率.208と今ひとつ振るわず。これには切実なワケがある。
実はリーグ優勝時、例のごとく、グラウンドに観客が飛び降りて大騒ぎ。選手たちを次々と胴上げし、遠井も何回も宙に舞ったのだが、そのとき落としたメガネが踏まれて割れてしまったのだ。
この年は東京オリンピックの関係で、ペナントレースは超過密日程となっており、日本シリーズ開幕はなんと優勝の翌日。あわてて買いに行ったが、結局、度がしっかり合うものが用意できなかった。
左打者の遠井は、南海の長身右腕・
スタンカ攻略のキーマンでもあったはず。日本シリーズに敗れた、意外な敗因のひとつと言っていいかもしれない。
写真=BBM