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プロ野球世代別ベストナイン

【世代別ベストナイン】「1945年」逆境から這い上がる“終戦世代”/高田繁、外木場義郎、スミス

 

プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。

復興の希望となったプロ野球のように



 終戦の1945年、プロ野球は11月に早くも復活の号砲を放ち、焦土からの復興の希望となっていった。そんな年に生まれた世代の選手たちも、その軌跡に自らを重ね合わせるかのように、さまざまな逆境に立ち向かい、そして大成したタイプが目立つ。

 象徴的なのは高田繁だ。V9巨人で“塀際の魔術師”の異名を継承した名外野手だが、76年に外野手の張本勲が加入すると三塁へとコンバート。外野から内野へ、しかも30歳を過ぎてからの転向という難題をクリアしただけでなく、外野手時代に続いて三塁でもダイヤモンド・グラブ(のちのゴールデン・グラブ)を受賞、ここでもホットコーナーを担う。

【1945年生まれのベストナイン】(45年4月2日〜46年4月1日生まれ)
投手 外木場義郎広島

捕手 和田徹阪神ほか)

一塁手 小川亨(近鉄)

二塁手 上田武司(巨人)

三塁手 高田繁(巨人)

遊撃手 高橋博士日本ハムほか)

外野手 中塚政幸(大洋)
    東田正義(西鉄ほか)
    当銀秀崇(阪急)

指名打者 レジー・スミス(巨人)

 二塁にいる上田武司もV9戦士で、投手から転向した内野手。控えが多かったが、V9を決めた日本シリーズで本塁打を放った伏兵だ。その巨人で80年代にインパクトを残したのが強打のスイッチヒッターだったスミス。メジャーでの実績も抜群で、指名打者としての起用を嫌ったことも来日の一因だが、肩を壊して日本でも一塁を守っており、ここでは指名打者として逆境を打破してもらいたい。

 南海に捕手として入団も、野村克也の存在でユーティリティーに活路を見出し、のちに史上唯一の1試合9ポジションという離れ業をやってのけたのが高橋博士(博)。ここでは遊撃だが、もちろん、どのポジションを守ってもいい。外野にいる東銀秀崇も黄金時代の阪急を支えたバイプレーヤー。捕手の和田徹も外野や一塁を守って生き抜いた苦労人だ。

 一塁の小川亨は“くのいち打法”で180打席連続無三振をマークした巧打者。外野にいる中塚政幸もバットを短く持って単打狙いに徹した俊足の左打者で、中塚と小川が一、二番に並ぶと高い出塁率が期待できそう。残る外野は西鉄で“最後の四番打者”となった東田正義。“黒い霧事件”に沈んでいたチームで数少ない光となった強打者だ。

エースは3度のノーヒッター


広島・外木場義郎


 低迷するチームを支え続けた名選手が多いのも、この世代の特徴と言える。エースの外木場義郎も歴代最多タイとなる3度のノーヒットノーラン、うち1度は完全試合という好投手だが、低迷期の広島にあって、通算では負け越し。それでも防御率は2点台だ。

 そんな外木場を筆頭に、三本柱は通算100勝トリオ。米国留学で“遅球派”として覚醒したのが右腕の高橋重行(大洋)、4年連続2ケタ勝利の清俊彦(近鉄ほか)は西鉄で近鉄を相手にノーヒットノーランも伸び悩み、その近鉄へ移籍して最優秀防御率に輝いた右腕だ。

 これに続く戸田善紀中日ほか)も阪急から中日への移籍でノーヒットノーランを達成した右腕。宮本幸信も同じく阪急から広島へ移籍して10勝10セーブとブレーク、初優勝に貢献した右腕だ。唯一の左腕は平岡一郎王貞治(巨人)と対戦50打数で被本塁打ゼロという“最強の王キラー”だった。

 突出した長所こそないが、漏れの少ないラインアップと言える。粘り強いゲーム展開で勝利をつかみ取る姿が見えてきそうだ。

写真=BBM
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