『ベースボールマガジン』で連載しているプロ野球選手の第2の人生応援プロジェクト「パンチ佐藤の漢の背中」。「現役を引退してから別のお仕事で頑張っている元プロ野球選手」のもとをパンチさんが訪ね、お話をうかがう連載です。今回は元横浜ベイスターズのドラフト1位投手で、現在はTBSラジオの営業マンの小桧山雅仁さんをお訪ねしました。 サラリーマンはジャブが徐々に効いてくる
小桧山雅仁氏(左)、パンチ佐藤
台湾・中信ホエールズ時代の2002年シーズン半ば、現役生活に別れを告げた。同チームで投手コーチを務めていた小桧山さんを、TBSテレビのスタッフが取材に訪れた。偶然にもそのうちの一人が、慶大野球部出身。そのスタッフに頼み、TBSで何か仕事のクチはないかとツテをあたってもらった。
その後、現役時代かわいがってもらった元TBSアナウンサーの松下賢次さんにも相談。2人との縁がきかけでTBSラジオの採用試験を受け、見事合格したという。
パンチ 入社後は、どんな仕事から始めたんですか?
小桧山 今と同じ、営業です。最初は見習いみたいな感じで先輩についていきました。基本的には各自担当が100社以上ありまして、そこは他の人が触れないので、すべて自分でアポを取って営業に行かなければならないんです。
パンチ 要はラジオにCMを流してくれるスポンサーさんを取ってくるということね。新規で取ってきた会社には、どんなところがあるの?
小桧山 今ベイスターズのベンチに広告を出しているエネルギー関係の某企業さんもそうですね。
パンチ それは、かなりのホームランじゃない。そのあたりから「俺、やれるかもしれない」と思った?
小桧山 いえ、今でも僕、TBSラジオで一番バカだと思っていますから。
パンチ その気持ちだね! この間、飴細工の職人さんを取材させてもらってね。一番簡単なのがウサギで、ウサギができるようになってから他のものを作るって言うんだ。それで「よし、ウサギは作れるようになったって思ったのは何年目ですか?」と聞いたら、「いまだにできません」って言うんだよ。常にそういう気持ちじゃないとダメなんだな。今はどういう役職なの?
小桧山 4年前から営業の班長をやっています。
パンチ 自分でガムシャラにやっているときと班長になってからって、苦労が違うでしょう。今の若者を盛り上げるには、どうしたらいいの?
小桧山 褒めて伸ばすしかないんじゃないですか。でも僕自身、彼らと一緒に切磋琢磨して、成長させてもらっているところですよ。
パンチ いい言い方するね!
小桧山 本当にそうなんですよ。当然上司からも教えてもらうこともたくさんありますが、後輩といるほうが「こういう考え方もあるんだ」と、自ら学べます。
パンチ 例えばどんな考え方を後輩から教わった?
小桧山 スポンサーさんに不義理なことをしてしまったとき、「あー怒られちゃったよ、今から謝りに行かなきゃいけないな、嫌だな」と言っていたら、「怒られて謝るということは、会えるチャンスがあるんだから、いいじゃないですか。うらやましいですよ」と後輩に言われたんです。何度も謝りに行けば、何度も会えるわけですから、その都度何か提案していったら、何か決まる可能性もありますし。
パンチ 素晴らしい後輩だね。
小桧山 そう言われて、実際大きな契約をいただきました。その後輩は今、別の班の班長をしています。
パンチ 仕事で一番うれしいのはどんなとき? 逆にガーッと落ち込むのは?
小桧山 落としてはいけないスポンサーさんが提供から脱落したときは、ダメですね。特に自分の指示ミスでそうなってしまったとき。うれしいのは、後輩が自分で頑張ってアポイントを取って、新規のスポンサーさんが決まりました、というとき。そうしてTBSラジオでCMを流して、スポンサーさんに喜んでいただけるのが一番です。
パンチ ちなみに、どんなことが一番喜んでもらえるの?
小桧山 CMを流してすぐ電話が鳴って、物が売れたとか。あるいは周囲の人から「いいCMやってるね」と聞くと、僕もうれしいし、スポンサーさんにも喜んでいただけます。
パンチ 今、仕事は楽しいですか?
小桧山 いや、正直サラリーマンは毎日つらいですよ。野球選手なら、投げたあとは筋肉痛がパーンッと来て終わりですが、サラリーマンの場合はジャブが徐々に、徐々に効いてくるんです。そうした疲れに加え、仕事のプレッシャーもあります。営業をしている以上、TBSラジオの営業数字を作らなければなりませんから。また、世の中瞬く間に変化していきますので、勉強しなければならないことも山積しています。AIにスマホスピーカー……。今は番組内のCMだけでなく、SNSと連動させることなども必要ですからね。
<「3」へ続く>
●小桧山雅仁(こひやま・まさひと)
1969年5月7日生まれ、神奈川県出身。桐蔭学園高から慶大を経て、日本石油時代にはバルセロナ五輪代表として完封勝利を挙げるなど日本の銅メダル獲得に貢献。93年ドラフト1位で横浜に入団すると1年目から44試合に登板した。2001年限りで退団し、02年は台湾球界でプレー。NPB通算成績は122試合で9勝14敗4セーブ、防御率4.30。引退後はTBSラジオに就職し、現在は営業部担当部長兼横浜支局長。
●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年
オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。
構成=前田恵 写真=山口高明