プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 82年のヒーローたち
名球界へ選手を投打で1人ずつ送り込んだ1950年生まれの世代。投手は低迷期の西鉄へ入団し、太平洋、クラウンを経て、西武でプロ14年目にして初めて優勝の美酒を味わった東尾修だ。
その82年の日本シリーズではMVPに。対戦した
中日で第5戦に先制本塁打を放ったのが
大島康徳。ともにペナントレースでは精彩を欠いていて、翌83年に東尾は18勝を挙げて最多勝とMVP、大島は翌83年に本塁打王となって雪辱を果たした。
【1950年生まれのベストナイン】(1950年4月2日〜51年4月1日生まれ)
投手 東尾修(西武)
捕手
土肥健二(
ロッテ)
一塁手
マイク・イースラー(
日本ハム)
二塁手
ヒルトン(
ヤクルト)
三塁手
ケン・モッカ(中日)
遊撃手
永尾泰憲(近鉄ほか)
外野手 大島康徳(中日)
長崎慶一(大洋ほか)
トミー・クルーズ(日本ハム)
指名打者
大田卓司(西武)
指名打者にいるのが82年にパ・リーグのプレーオフでMVPに輝いた“必殺仕事人”の大田卓司。セ・リーグでは三塁にいるモッカが三番打者として優勝に貢献、その中日にいた
田尾安志とデッドヒートの末に首位打者となったのが外野にいる長崎慶一(啓二)だ。
一方で、その82年限りで現役を引退したのが投手の
山口高志(阪急)だ。故障のため活躍した期間は短く、通算成績では東尾に届かないため控えに回っているが、先発に救援にとフル回転して阪急に初の日本一を呼び込んだ剛腕。その速球は「史上最速」とも言われた。東尾との二枚看板でもいいが、東尾と山口のパ・リーグ“黄金リレー”に夢がふくらむ。
投手陣は充実していて、左腕の
水谷則博(ロッテほか)が通算100勝を超え、韓国球界でも活躍した右腕の
福士敬章(松原明夫、福士明夫。南海ほか)、プレーオフに強かった右腕の
井本隆(近鉄ほか)も同世代だ。
パ・リーグ勢の先発ローテーションを山口がクローザーとして締めるパターンが確立されれば、長期間にわたる投手王国による黄金時代さえ築けそうなドリームチームだ。
巧打の助っ人がズラリ

日本ハム・イースラー
野手の日本人選手は層が厚くないが、モッカをはじめとする外国人選手が、まさに助っ人としてチームを支えている。優勝経験がないのは一塁にいるイースラーだけだが、途中入団ながら四番打者として日本ハムのAクラス浮上に貢献した功労者だ。
その日本ハムを81年にリーグ優勝へ導いたのが外野にいるクルーズ。ヘルメットが飛ぶほどのフルスイングからのシュアな打撃が魅力だった。
二塁にいるヒルトンと、この“ほぼ助っ人内野陣”で遊撃を守る永尾泰憲は78年に初優勝、日本一を飾ったヤクルトのV戦士。永尾は翌79年に近鉄へ移籍して連覇を、85年には
阪神で日本一を経験したユーティリティーで、決して派手ではないが、このチームにも勝利を呼び込む貴重な存在となりそうだ。
長距離砲は大島のみで、助っ人勢も含めて巧打者タイプが並ぶ打線。左打者も多く、右と左、あるいは日本人と外国人を交互に並べる“ジグザグ打線”を組むのもおもしろいだろう。
落合博満(ロッテほか)が若手時代に打撃フォームを参考にしたことでも知られる捕手の土肥健二もアベレージ型で、打線に穴はない。
ただ、機動力には大いに難あり。通算盗塁が3ケタに届くのは長崎のみで、期間が短いとはいえ、助っ人勢は全員が1ケタだ。どれだけ大島の前に走者をためるかが勝負の分かれ目になるかもしれない。
写真=BBM