プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 三冠王2人は唯一
1985年、プロ野球で初めて両リーグで三冠王が誕生した。セ・リーグからは、
阪神に日本一をもたらしたバース。パ・リーグからは、82年に史上最年少で三冠王となり、2度目の栄光となった落合博満。ともに翌86年にも三冠王となり、2年連続の三冠王もプロ野球で初めての快挙だった。打席の左右から国籍までもが違う2人の三冠王だが、数少ない共通点が、同世代ということ。この53年に生まれた世代の打者を並べると、歴代屈指の強力打線が完成する。
【1953年生まれのベストナイン】(1953年4月2日〜54年4月1日生まれ)
投手
永射保(
西武ほか)
捕手
梨田昌孝(近鉄)
一塁手
中畑清(
巨人)
二塁手 落合博満(ロッテほか)
三塁手
羽田耕一(近鉄)
遊撃手
水谷新太郎(
ヤクルト)
外野手
真弓明信(阪神ほか)
田尾安志(
中日ほか)
クロマティ(巨人)
指名打者
ランディ・バース(阪神)
落合とバースが一塁に重なるが、一塁には“絶好調男”中畑清を据えた。中畑は入団時の監督でもあった
長嶋茂雄にあこがれ、同じ三塁手として定位置をつかんだが、81年にやはり三塁手だった
原辰徳の入団で逆風が吹き始める。当初は中畑が三塁を譲らず、原は二塁手としてデビューし、二塁の
篠塚利夫が控えに回ることで落ち着いたが、開幕1カ月で故障離脱。二塁に篠塚、三塁に原という布陣で巨人は好調を維持し、復帰した中畑は一塁へ回って、そのまま巨人は優勝、日本一へと突き進んだ。中畑は翌82年から一塁手として7年連続でゴールデン・グラブ。三塁を弾き出された中畑は、ここでは一塁の定位置を三冠王2人から死守することになった。
落合は若手時代に守った二塁へ、バースは指名打者へ。三塁にいるのが“未完の大砲”羽田耕一。4打数連続本塁打もあった長距離砲だ。通算本塁打3ケタの打者が並ぶ打線で、遊撃にいる水谷新太郎は唯一の2ケタだが、堅実な遊撃守備とシーズン犠打2ケタが9度の打撃は、この世代では貴重。相手の投手が手を抜こうものなら、手痛い一打を浴びせそうだ。
内野の控えには強肩遊撃手の
定岡智秋(南海)、強打も光ったユーティリティーの
吹石徳一(近鉄)、助っ人の
パリッシュ(ヤクルトほか)も同世代。内野陣は盤石と言えそうだ。
もうひとりの“最強”助っ人
巨人・クロマティ
外野陣にも80年代のセ・リーグを沸かせた好打者が並ぶ。真弓明信は日本一イヤーの85年に一番打者ながら自己最多の34本塁打を放った右の強打者。この世代では最多の通算200盗塁もあり、ここでもリードオフマンになりそうだ。
田尾安志はVイヤーの82年から3年連続でリーグ最多安打を放った左の巧打者。残る1人は、89年にプロ野球で初めてシーズン規定打席を満たした時点で打率4割を超えていたクロマティで、バースとともに“最強の助っ人”と並び称されるハッスルプレーヤーだ。控えには“代走のスペシャリスト”
藤瀬史朗(近鉄)もいて、やや難がある機動力もカバーできるだろう。
捕手は“コンニャク打法”の梨田昌孝に、強肩強打の
若菜嘉晴(大洋ほか)の二枚看板。ただ、投手の層は薄い。ベストナインにはワンポイントの左キラーとして鳴らした永射保を置いたが、完投が期待できるのはゲイル(阪神)のみ。リリーバーの
サンチェ(巨人)も同世代なので、投手陣は臨機応変の柔軟な継投策で失点を最小限にとどめ、超強力打線の爆発を待つのが勝ちパターンになりそうだ。
写真=BBM