週刊ベースボールONLINE

プロ野球回顧録

追悼!“世界の鉄人”。衣笠祥雄氏、珠玉の4エピソード

 

広島の黄金期に中心打者として活躍し、2215試合連続試合出場の世界記録(当時)を樹立、国民栄誉賞も獲得した衣笠祥雄氏が死去したことが4月24日、分かった。享年71歳。広島の低迷期から黄金時代を通し、グラウンドに立ち続けた男。ただ、試合に出続けたわけではない。多くのエピソードに彩られた野球人生でもあった。

フルスイングへのこだわり


現役時代の衣笠氏


 衣笠のバッティングの特徴のひとつはフルスイング、特に若いころはボール球に対しても、まさにブルンブルン振り回して、たくさんの三振も喫した。

 その思い切ったスイングは、時に周囲を圧倒するかのような大きなホームランを放つこともある代わりに、安定性を欠き、打率を上げるにはどうしても妨げになった。

 自身のフルスイングを衣笠は「それが僕の野球の原点だから」と語ったことがある。野球を始めたときに、このボールを思い切り打ったら、どこまで飛ばせるんだろうか、と考えていた。だから最後まで、それを許してもらえる場面にはフルスイングを貫いたのだ。

「鉄人」の由来。背番号28の友情


衣笠氏(左)と江夏の間には熱い友情があった


 少々のケガでは休むことなく、試合に出場を続ける身体の頑丈さへの評価が高くなって、衣笠に「鉄人」というニックネームがつけられた。それは、のちに連続試合出場を更新することになるルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の「アイアンホース(鉄の馬)」に対抗する意味でも、うまくはまったネーミングという格好になったが、そもそもは入団の65年から74年まで背負った背番号「28」から人気アニメ「鉄人28号」をヒントにしたもの。

 江夏豊と仲がいいことは有名だった。日本シリーズの「21球」の名場面で、「やめるなら一緒」、と声を掛けて冷静さを取り戻させたほど。それもともに入団時に「28」を背負ったことで、「昔からなんとなく意識していた」と言っていたことがある。

三塁挑戦。J.ルーツの進言


 入団時は捕手だったが、2年目に一塁にコンバート、さらに75年には監督に就任したJ.ルーツから三塁へのコンバートを持ちかけられた。

 肩に不安のあった衣笠は、一塁への送球が主要な仕事となる三塁へのコンバートに難色を示したが、新外国人・ホプキンスが、どうやら一塁しか守れそうもないことを知って、三塁へのコンバートを決断した。ルーツからの「今、一塁では王貞治がいてベストナインは取れない。(長嶋茂雄が引退した)今なら、三塁だったらベストナインを取れるぞ」という“甘い言葉”も決断のきっかけになったとか。ルーツの見立てどおり、75年、チームは優勝し、衣笠は初のベストナインを手にした。

連続試合出場記録のピンチ


 連続試合出場が、注目を集めるようになった衣笠を襲った最大のピンチは79年。開幕から絶不調、極度の不振に陥った。記録のためだけに出場しているという批判的な声が増え、古葉監督も決断を余儀なくされて、連続試合出場と並んで進行していたフルイニング連続出場が、当時の日本記録だった阪神三宅秀史の700試合にあと22試合と迫った時点でストップした。

 15試合スタメンから外れて復帰した衣笠だが、8月には巨人戦で西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折。しかし翌日の試合、大野豊の代打で出場、江川卓に対して、フルスイングで3球三振を喫し、両軍ベンチ、ファンから拍手の嵐が巻き起こった。

 衣笠は「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」と気の利いたセリフを残した。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング