長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 南海行きを決めていたが……
1960年代中盤から70年代前半の広島カープ低迷の時代を支えた勝負強きスラッガー、山本一義。広島商高時代は「四番・主将」で、卒業前に南海監督・
鶴岡一人に「4年間、大学で勉強してウチに来んか」と誘われた。
進学した法大でも4年時には主将となり、いくつかの球団から誘われたが、山本は約束どおり南海行きを決めていた。しかし、広島の後援会長だった池田勇人通産大臣(この年の7月に総理大臣に)から呼び出され、「故郷を忘れないでほしい。故郷を好きになってほしい。故郷を強くしてほしい。故郷を明るくしてほしい」と熱い言葉で頼まれる。悩んだが、広島行きを決めた。
すぐ鶴岡にお詫びに行くと、責める言葉はなく、「ワシのときは広島に球団はなかった。あったらたぶん入ったと思う。故郷を頼むぞ」と言われた。
プロは通算15年。75年の歓喜の初優勝を見届け、現役を引退した。
写真=BBM