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プロ野球世代別ベストナイン

「1960年」勇者の記憶もよみがえる“阪急〜オリックス世代”/プロ野球世代別ベストナイン

 

プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。

もうひとつの“10.19”



 1988年10月19日といえば、多くのプロ野球ファンは近鉄の夢が破れた“10.19”を思い浮かべるだろう。そのダブルヘッダーの直前、グラウンド外の衝撃的なニュースが飛び込んできた。阪急のオリックスへの球団売却だ。

 翌89年から、チーム名はオリックス・ブレーブスに。91年にはニックネームも“ブルーウェーブ”となり、長くファンに親しまれた“ブレーブス”も消えた。そんな過渡期の勇者を支えた好打者が3人、打線に並ぶのが1960年生まれの世代だ。

【1960年生まれのベストナイン】(1960年4月2日〜61年4月1日生まれ)
投手 金石昭人日本ハムほか)

捕手 木戸克彦阪神

一塁手 トーマス・オマリー(阪神ほか)

二塁手 福良淳一(オリックス)

三塁手 松永浩美(オリックスほか)

遊撃手 広瀬哲朗(日本ハム)

外野手 川又米利中日
    吉竹春樹西武ほか)
    ジム・パチョレック(大洋ほか)

指名打者 石嶺和彦(オリックスほか)

 左の巧打と右の強打で「日本初の大型スイッチヒッター」と評されたのが三塁にいる松永浩美だ。阪急が最後のリーグ優勝を飾った84年もレギュラーで、翌85年には盗塁王、阪急時代とオリックス時代に1度ずつサイクル安打も達成。のちに阪神からダイエーへ移籍して“日本初のFA移籍選手”にもなっている。

 実際にブレーブスで松永と内野陣を形成したのが二塁にいる福良淳一だ。小技も利く俊足巧打の右打者だが、最大の武器は堅守。2リーグ制の最多記録となる二塁手としての836連続守備機会無失策もマークしている。捕手出身の石嶺和彦は外野手に転向後、指名打者として頭角を現してオリックス2年目の90年に打点王となった強打者だ。

 パ・リーグ勢では93年から2年連続でベストナイン、ゴールデン・グラブをダブル受賞した広瀬哲朗が本職の遊撃に。西武黄金時代のメンバーというだけでなく、猛虎フィーバーの85年にもV戦士だった吉竹春樹が外野にいる。同様に阪神からパ・リーグのダイエーへ移籍した外野手で俊足スイッチの大野久も同世代。南海からホークスの過渡期を過ごした内野手の森脇浩司もいる。

猛虎勢に“炎のストッパー”も



 阪神で外国人枠を争った“超優良助っ人”2人も同世代だ。大洋時代の90年に首位打者となったヒットメーカーで、92年に3度目のリーグ最多安打を放ったのが外野にいるパチョレックだ。

 その92年に三塁でゴールデン・グラブに選ばれたのが一塁にいるオマリーで、93年に首位打者、ヤクルト移籍1年目の95年には4年連続で最高出塁率となって優勝、日本一に貢献、ペナントレース、日本シリーズともにMVPに輝いている。

 その阪神で日本一イヤーの正捕手だったのが司令塔の木戸克彦だ。リードする投手陣だが、この世代で通算最多は金石昭人の73勝。84年に15勝でリーグトップの勝率.789を記録した石川賢ロッテほか)、石川の去ったロッテに移籍して球宴にも出場した白武佳久(広島ほか)が同世代で、右腕の先発三本柱となりそうだ。打高投低が顕著のようだが、この世代には“炎のストッパー”がいる。

「弱気は最大の敵」を座右の銘に、マウンドですべてを燃やし尽くすかのように、直球勝負を繰り広げた津田恒実(恒美。広島)だ。早逝したこともあり、インパクトは絶大。広島ファンならずとも、記憶に強く残る存在だろう。その意味では、この世代は“津田世代”と言えるかもしれない。

写真=BBM

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