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川上憲伸氏が語る明大時代、そして“ライバル”高橋由伸

 

明大時代の川上憲伸


 目にも鮮やかなオレンジ色のゴルフポロを身にまとって、川上憲伸さんは待ち合わせの場所に現れた。

 名古屋市内にあるホテルのレストラン。うららかな春の陽気に包まれた、昼下がり。

「午前中は、ゴルフの練習をしてきたんです」

 そう言って笑う憲伸さんはこんがりと健康的に日焼けしていた。それがウエアのオレンジと見事にコーディネート。写真撮影はなしということを事前に伝えていたので、うっすらと無精ひげが生えていた。

 5月2日に発売される『ベースボールマガジン』6月号用のインタビューをした。テーマは「大学野球」。明大出身の憲伸さんに、今年急逝された大先輩の星野仙一さん、同期のライバルだった巨人高橋由伸監督、そして自らの大学生活について語ってもらった。

 2000年代のドラゴンズ黄金時代の絶対的エース。メジャーでもプレーした。輝かしい実績の持ち主にもかかわらず、憲伸さんは実にフランク。にこちらの質問に一つひとつ丁寧に、そして具体的に答えてくれた。それどころか、明大時代を振り返るにあたって、「僕は人とコミュニケーションを取るのが苦手なんです」と、こちらが拍子抜けするようなことまで吐露。要するに、大学生活を送るために地元の徳島から上京してきた憲伸さんにとっては、東京というのは右も左も分からぬ別世界だった。

 1年のときには、徳島弁を先輩からバカにされ、嘲笑され、時に「お前、いつからタメ語になったんだ」と誤解を招いたことで、極度のホームシックに陥った。

「人と話すのが怖くなってしまいました。引きこもりも同然。耐えられなかった。常に徳島のほうばかり向いていました」

 地元の両親に「帰りたい」と打ち明ければ、「とにかく鍛えられなさい」と説得され、歯を食いしばって頑張ったという。

 現役時代に代名詞のカットボールでプロの並み居る強打者をキリキリ舞いさせ、咆哮したマウンド上の猛々しい姿からは想像もつかぬ青春時代の苦悩が、憲伸さんにもあったのだ。そう思うと急速に親近感が湧いてきた。

 東京六大学の中でも明大は有数の厳しさと誇るとされる。そのなかで「人間を鍛え上げられました」と憲伸さんは明大での4年間を回想した。まさに、島岡吉郎監督時代から連綿と受け継がれる明治の「人間力野球」の洗礼を受けた。だからこそプロでどんな厳しい経験をしても、「あのときの苦しみに比べれば……」と耐えられたという。

 大学時代のライバルには「由伸は意外と熱い男。いまの監督采配は“高橋由伸”のやり方ではない」と取材当時、下位に低迷していたライバルのことを気にかけていたが、ここにきて巨人の調子も上向き。いつか指導者としても相まみえる可能性について聞くと、「そうなったら、お互い相手の性格が分かっているから、余計なことまで考えてしまいそうです」と言うと、白い歯をのぞかせた。

 別れ際には「わざわざ名古屋まで足を運んでいただき、ありがとうございました」とお礼を言われた。一流選手というのは、人間性まで一流なのだと思わずにいられなかった。

ベースボールマガジン6月号



文=佐藤正行(ベースボールマガジン編集長) 写真=BBM
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