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剛速球に神宮がどよめいた東京六大学デビュー!慶大の182センチ右腕・木澤尚文

 

右ヒジ内側じん帯損傷からの復活


神宮デビュー戦で自己最速151キロを計測した慶大・木澤。今後の活躍が期待される


 神宮球場全体が、剛速球にどよめいた。慶大の182センチ右腕・木澤尚文(2年・慶応義塾高)はリーグ戦デビューとなった5月5日の立大1回戦で、強烈なインパクトを残している。

 0対2の3回から2番手として救援。初球に自己最速を1キロ更新する151キロをマークすると、2球目も150キロ。変化球(空振り)を挟んで4球目も150キロ(ファウル)、そして最後は136キロのカットボールで空振り三振に奪った。次打者の初球にも151キロを計測した。

 しかし、本人が「課題はコントロール」と語るように、2つの四球、暴投でピンチを作ると二死一、二塁から適時打で失点したところで降板。ややホロ苦い初登板となったものの、高いポテンシャルを見せつけた。

 球歴が華々しい。小学6年時には千葉ロッテマリーンズJr.に選出され、NPBジュニアトーナメントで優勝。木澤は藤平尚真(横浜高→楽天)と投手2本柱を形成した。八千代中央シニアでは坂倉将吾(日大三高→広島)とバッテリーを組んで3年春の全国大会優勝。

 最速143キロだった慶応義塾高(神奈川)でも主戦を務めていたが、3年春の県大会準決勝(対横浜高)の初回に「ブチッ!!という音がした」。右ヒジ内側じん帯損傷により、投球ができなくなった。だが、約2カ月後には夏の県大会が控えており、医師と相談の上で本格的な治療は先延ばしにした。

 3年夏の県大会は2回戦(対川崎商高)で1イニングを救援し、次の登板は横浜高との決勝。0対8と劣勢の中、6回途中から3番手として、横浜スタジアムのマウンドに立った。

「3年間で最も、印象に残るマウンドです。これは、後から聞いた話ですが、自分がコールされた瞬間、スタンドの3年生が涙を流したいたそうです。正直、ケガをして腐りかけた時期もありましたが、仲間が、心をつなぎ止めてくれた。感謝の言葉しかないです」

 テーピング、ブロック注射、痛み止めの薬を飲んでの強行登板。「130キロも出ていなかったと思います」。絶対に、甲子園をあきらめるわけにはいかない。気力で1回2/3を無失点に抑えた(チームは3対9で敗退し準優勝)。

 大会後、医師から「高校生でメスは入れないほうがいい」と手術を回避。慶大入学後もリハビリの毎日で、投げ始めたのは秋のリーグ戦が開幕したころ。「キャッチボールもワンバウンドしかいかない」と、指先の感覚が鈍り、どん底の状況を経て、シーズン4カード目の立大2回戦から初のベンチ入り。7季ぶり優勝を、メンバーとして立ち会っている。

 今年3月には沖縄キャンプ、関西遠征に帯同してアピールを続け、開幕カードの東大2回戦からベンチ入り。「ずっと準備していました」。3カード目(第4週)にして、ついに登板機会が巡ってきたのだ。

 開幕前、4月7日のオープン戦(対東京ガス)ですでに150キロ超えを果たしており、「腕を振れば出ると思った」と、神宮での大台突破にも驚いた様子はない。地道なトレーニングの成果が球速アップにつながったが、慶大・林卓史助監督からの「(ストライク)ゾーンで良いから堂々と投げろ!!」というアドバイスが実践できなかったことをまず、悔やんだ。「しっかり、試合を作れる投手になりたい」。

 同期には昨秋のリーグ制覇に貢献した右腕・関根智輝(2年・都立城東高)、左腕・佐藤宏樹(2年・大館鳳鳴高)がおり、「まずはチーム内の競争を勝ち抜き、切磋琢磨していきたい」と意気込む。「投げられることが本当、うれしいです」。好きな選手はマリナーズ・イチロー。「会見での発言の一言一句が、人として尊敬できます」と、自身も将来的には影響力のあるプレーヤーになりたいと思っている。一度は“地獄”を味わった木澤の野球人生は、これからが本領発揮である。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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