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平成最後の夏、30年ぶりの甲子園を狙う津久見高。第2グラウンドに新たな足跡を刻む!

 

練習拠点は第2グラウンド


津久見高野球部の練習拠点は校外の「第2グラウンド」。学校案内板の右下、欄外部分に小さく表示してあった


 取材の設定時間よりも約30分早く学校に到着した。「過去の栄光」を探そうと、津久見高(大分)の正門をくぐった。1967年春、1972年夏と2度の甲子園制覇。正門右手に選手権(夏)、左手にセンバツ(春)の記念石碑が建っていた。半世紀近く前の偉業で、文字の部分からも、時間の経過を感じることができた。

 下準備を終え、取材開始10分前にグラウンドへ向かった。学校案内板の校庭部分には「野球場」と明記されており「さすが、名門・津久見!!」と思わず、うなってしまった。地図に添って到着すると、ネット裏付近では、球児たちが元気よくウォーミングアップ。外野ではサッカー部が練習。異変に気づいた。

 よく見ると、使用球が軟式球。校庭では軟式野球部が活動していたのだ。周囲を見渡せば高いネットもなく、硬式野球では危険が伴う。実は春夏を通じ18回の甲子園出場を誇る硬式野球部の練習拠点は、学校から約500メートル離れた「第2グラウンド」だったのである。もう一度、地図を確認すれば、右下に小さく明記されていた。しかも、球場の形である。

「グラウンド」と言っても、野球部専用。「さすが、名門・津久見!!」の立派な球場である。両翼91メートル、中堅121メートルで右中間、左中間が深いのは「甲子園仕様」に違いない。屋根付きの一、三塁ベンチも設置されており、ネット裏には約100人が座れるスタンドまであり、公式戦開催も可能だ。右翼後方にはビニルハウス。夏の県大会前には暑さ対策、寒さの厳しい冬場は室内練習場としての役割を果たすという。また、右中間後方にはウエートルームも完備しており、資金を調達するのが難しいと言われる、県立校とは思えない充実設備だ。

 この「第2グラウンド」が完成したのは平成元年(1989年)。グラウンド門の裏には、当時の平松守彦県知事の名前が刻まれている。つまり、県の予算で建設されたというのだから、いかに津久見が全国区の影響力があり、大分を代表する伝統校であったかが分かる。

 今年が平成30年だから、球場が完成して30年。津久見高が最後に甲子園の土を踏んだのは、エース・川崎憲次郎(元ヤクルトほか)を擁し、昭和最後の夏(昭和63年)となった1988年。同年は春夏連続で全国8強に進出した。さらなる期待が込められ、新グラウンドが完成したと思われるが、以降、甲子園から遠ざかるとは、誰も想像もできなかっただろう

 2018年、第100回記念大分大会の開幕まで約2カ月。練習中、グラウンド内は全力疾走が徹底されており、メニューとメニューの間も迅速。返事も全員が「はい!!」と統率されている。高校生らしいハツラツとしたムードを作り上げているのは、2015年秋に就任した河室聖司監督だ。09年〜13年まで、大分県高野連理事長として全加盟校を束ねてきただけにリーダーシップ旺盛で、高校生の人心掌握にも長ける。今春は県大会8強進出と、着実に力をつけている。

 県立校ながら部員84人の大所帯で、河室監督が全幅の信頼を置く3人の指導者(相馬豊樹部長、岩本智行副部長、近澤敏晃副部長)が強力サポート。また、野球部新後援会が16年に発足し、昨年には新選手寮が運用され、機は熟したと言える。「選手、スタッフもそろい、周りのバックアップにも恵まれている。あとは、結果を残すだけ」(河室監督)。平成最後の夏、30年ぶりの甲子園復活出場で、30年目の第2グラウンドに新たな足跡を刻む。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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