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伊原春樹コラム

私と巨人03 印象深い坂本勇人のプロ初安打/伊原春樹コラム

 

執念で放った打球


2007年9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)でプロ初安打を放った坂本


 2007年、コーチとして私は巨人のユニフォームを着た。ヘッドコーチとして、だ。要請を受けた際、「伊原さん、体が弱い選手ばかりですよ」と原辰徳監督は嘆いていたが確かに前年、試合に出続けたのは二岡智宏イ・スンヨプくらいだった。原監督は06年から3年ぶりに巨人監督に復帰。しかし、チームは4位と低迷していた。

 チームに走れる選手も少ないし、重たい空気が流れていた。とにかく私はキャンプから密度の濃い練習を選手に課した。ぬるま湯に熱湯をかけて、刺激を与え、チームを変えることを心掛けた。さらに07年は高橋由伸の一番抜擢も奏功して、見事に優勝を飾った。

 久しぶりに巨人の一員となって感じたのは、以前から変わらない常に日本一を目指すという球団の姿勢だ。だから補強にも積極的。07年には小笠原道大、翌年にはラミレスとチームの軸となるべき選手を獲得してくれた。坂本勇人ら若手も台頭し、チームは09年まで3連覇を達成することができた。

 10年、3位となり、4連覇を逃すと、私は責任を取ってユニフォームを脱いだが、指導者としての4年間の巨人時代に印象に残っている選手の一人は坂本勇人だ。私と同じ年に巨人に入ったが、特に初安打は心に刻まれている。

 それは07年9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)だった。中日、阪神と三つ巴の優勝争いを繰り広げていた公式戦終盤の戦い。1対1の同点のまま延長12回に入った。巨人は二死満塁のチャンスを作り、投手の上原浩治に打席が回った。ベンチに野手は坂本と加藤健しかいなかったが、原監督は高卒ルーキーに白羽の矢を立てた。

 三塁コーチャーズボックスに立っていた私は、そのとき坂本が同年、二軍で闘病中の母親を試合に呼び、目の前でホームランをかっ飛ばした話を思い出していた。「度胸があるし、何かやってくれるかな」。そのとおり、坂本が執念で放った打球はセンター前にポトリと落ちる勝ち越しの適時打となった。

 近年の坂本の充実ぶりはものすごい。まさか首位打者を獲得する打者になるとは当時は思ってもいなかったが、本人は相当努力を重ねたのだろう。今では3000安打を視界に入れて頑張ってほしいと思っている。

 今後の巨人に望むのは、これまでと同様、常に優勝に絡むチームであってほしいということだ。そうじゃないとペナントレースは盛り上がらない。巨人が強いからこそアンチも生まれる。「巨人ももう少し頑張れよ」と同情されるようなチームになってはおしまいだ。球界の盟主の伝統をいつまでも忘れてほしくはない。

写真=BBM
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