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プロ野球デキゴトロジー/5月21日

オリックス・コリンズ監督、突然の辞任劇【2008年5月21日】

 

イスに座ることなく、一方的にまくし立てて去って行ったコリンズ監督。左は中村勝広球団本部長


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は5月21日だ。

 球史に残るヒステリックで電撃的な辞任表明だった。2008年5月21日、スカイマークスタジアムで行われた阪神戦後、緊急の記者会見が開かれた。

 こわばった表情で現れたオリックス・コリンズ監督は「質問は受け付けない」。そう前置きすると「日本で変わったことをやろうと思い、そのために必要なことに取り組もうと思った。大きなチャレンジだったし、失敗したとは思っていない。期待された成績は残せなかったが、野球の監督というのは情熱がなくなった人間がやるものではない」。

 時間にして約15分。イスに座らず、立ったまま自らの胸の内を一気に吐き出すと会見場を後にした。

 中村勝広球団本部長が本人に代わって説明した。「初めて辞任の意向を聞いたのは、19日の夜。慰留に努めたが、本人の意志が固かったため断念せざるを得なかった」

 06年秋。低迷するチームの再建を託され、メジャー通算444勝の経歴を引っ提げて来日した。春季キャンプから早速、改革に取り組んだ。休日練習は禁止し、投手陣のブルペンでの投げ込みも制限した。シーズンが始まっても100球をメドに投手交代を行うなど、大リーグでの経験をそのまま日本球界に持ち込み、押しつけた。その強引な手法が反発を招き、オフの契約更改の席では監督批判をする選手が続出した。

 就任2年目の07年は、少しでもチームに溶け込もうと努力はしていた。年明けには室内練習場を訪れ、選手たちに積極的に声をかけて回った。だが、選手たちとの関係は修復不可能なところにまで発展しており、シーズンが始まっても改善されなかった。孤立した状況に嫌気がさしたのだろう。職場放棄とも取れる突然の辞任につながってしまった。

 監督代行にはヘッドコーチの大石大二郎氏が就任。オリックスにとっては01年以降、のべ8人目の監督交代となった。その間、Aクラスに入ったことは一度もない。大石監督代行は、就任直後にさまざまな面で“脱コリンズ流”を宣言した。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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