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プロ野球仰天伝説

特攻隊に志願し戦死した石丸進一/プロ野球仰天伝説152

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

「最後のキャッチボール」



 1941年、石丸進一は兄・藤吉が入団していた名古屋へ入団。ポジションは兄の応召で空いていたセカンドとショートだった。

 希望していた投手になったのは、翌42年だ。先発の軸として17勝19敗。負け越してはいるが、チーム全体で39勝60敗の年だ。翌43年には20勝を挙げたが、12月に応召。翌年2月20日には特攻隊に志願した。

 4月18日夜、鹿児島にあった特攻隊の出撃基地へ。5月6日、出撃命令が出た後、石丸は、法大野球部で一塁手だった本田耕一とキャッチボール。10球と決めて投げた球は、すべてストライクだった。

「これで思い残すことはない。報道班員、お元気で、さようなら」と笑顔で言ったという。この報道班員が作家・山岡荘八。のち山岡が発表した手記で広く知れ渡り、「最後のキャッチボール」と言われた逸話となった。

 ただ、実際にはこのときは悪天候のため出撃がなく、11日朝6時50分にあらためて沖縄方面に出撃。消息を絶ち、二度と帰ってこなかった。

写真=BBM
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